橋幸夫の離婚の真相や韓国人という衝撃の真実とは?

橋幸夫の父親や幼少時代や芸能界での?

橋幸夫さんは歌手や俳優・作曲家・
プロデューサーとして活躍をしている方
です。

 

1943年5月3日生まれなので
2018年には75歳になります。

 

東京都荒川区出身で
東京都荒川区の呉服屋の9人兄弟の
末っ子として生まれました。

 

ちなみに「橋」という珍しい苗字は
先祖が代々滋賀県で神主を務めていた
ことに由来しているそうです。

 

学生時代にはかなりやんちゃでボクシング
夢中でプロテストを勧められことも
あるそうです。

 

あまりのやんちゃさに心配をした
母親が歌謡教室に通わせたことが

歌の世界に入るきっかけになったそうです。

 

1960年に「潮来笠」でビクターレコード
からデビューを果たしました。

 

第2回日本レコード大賞新人賞を受賞し
第11回NHK紅白歌合戦に初出場を果たして
います。

同年代にデビューをしている
舟木一夫さんや西郷輝彦さんとともに
「御三家」としてアイドル的な人気を
集めていました。

ビクターからデビューする前に
コロムビアのオーディションに落ちている
という過去があるんですが・・・
もしコロムビアからデビューをしていたら
芸名が「舟木一夫」になる予定だったそうです。

 

世の中は何が起こるかわからないものです。

1962年には吉永小百合さんとのデュエット
曲である「いつでも夢を」が発売から
1ヶ月で30万枚という驚異的な記録
をたてて翌年には100万枚を突破する
ヒットとなっています。

その後もヒット曲を連発し
映画に俳優としても出演をしています。

 

1963年5月12日に石川県金沢市の
コンサート中に軍刀を持った暴漢に
襲われています。

 

止めに入ったマネージャーは右手中指
がちぎれそうになるくらいの重症を
負っています。
橋幸夫さんもとっさに軍刀を握りしめた
ようですがすぐに関係者などに
取り押さえられたために大事には
いたりませんでした。

 

若い頃には政党からのオファーがあった
ようですが政治は命がけでやる仕事と
思っていたために2回とも断ったそうです。

橋幸夫の離婚の真相や韓国人という衝撃の真実とは?

 

 

橋幸夫さんは1971年に結婚をしています。

嫁は一般人のようですが・・・
客室乗務員をしていた方のようですね。
橋幸夫さんがお客として搭乗したときに
知り合ったようです。
行きがけの搭乗時に嫁の飛行機に
乗り合わせて帰りにもまた嫁の飛行機に
乗り合わせたために運命的なものを感じて
交際に至ったようです。

 

交際2年を経て結婚となったようです。

結婚後は2人のお子さんが生まれています。

 

しかし・・・・嫁と47年の結婚生活
に終止符を打ち2017年に離婚をしています。

 

過去には橋幸夫さんは夫婦関係を語る
共著を出版するなど仲睦まじい様子を
見せていただけに衝撃でした。

 

嫁の「橋凡子」さんはエッセイストとして
も活動をしています。

2017年の11月に別居をして
その後離婚に向けた話あいが行われて
離婚となったようです。

こんなに長い間連れ添ったのに離婚

というと理由が気になるところですが・・・

 

過去には橋幸夫さんの不倫騒動も
あったようですが・・

 

その時は嫁は我慢したようですね。

そして・・・橋幸夫さんのお母さんが
認知症になったときにも面倒を
みていたようです。

 

これは想像ですが・・・

多くの年月を旦那と家族にささげて
そろそろ自分だけのために嫁が
生きてみたくなったのかもしれません。

 

橋幸夫さんが過去には嫁と自分は
性格が水と油というぐらい全く違う
という話もしていました。

 

橋幸夫さんは顔立ちなどから韓国人?
と言われることが多いようですが・・・

先祖代々から滋賀県の草津で神主を
していた家系なので韓国人ということは
考えにくですね。