郷ひろみの配偶者の写真や人物像とは!子供の存在が若さを保つ?

郷ひろみの配偶者の写真や人物像とは!子供の存在が若さを保つ?

郷ひろみの経歴

郷ひろみさんは歌手・俳優・タレント・実業家として活躍をしている方です。

郷ひろみさんは1955年10月18日生まれで、福岡県出身です。

本名は「原武裕美(はらたけひろみ)」

生後まもなくジフテリアにかかり、3歳で赤痢、15歳で腹膜炎の一歩手前の状態で盲腸の手術を受けるなど、何度となく病にかかっていたそうです。

旧・国鉄職員の父親の転勤で、4歳の時に福岡から上京し、1962年3月、東京都大田区の仲六郷幼稚園卒園[注 1]。1966年、小学5年の1学期のみ、福岡県糟屋郡の須恵町立須恵第二小学校へ転校。 転校した理由は、祖母が病気になり、「寂しくて仕方ないからひろみを貸してくれ」と頼まれたためだったそうです。

1968年3月、品川区立山中小学校卒業。 1971年3月、品川区立伊藤中学校卒業。 野球選手になるのが夢で、中学生時代には友人と野球チーム「ハーキュリーズ (Hercules)」を作っていたそうです。

1971年4月、世田谷区桜上水の日本大学櫻丘高等学校に入学し、野球部に所属。 しかし、芸能活動の多忙化に備えて、同年8月の内に堀越高等学校の芸能コースに転校しています。

当時、郷ひろみさんが持っていく弁当はジャニー喜多川さんが作っていたそうです。

高校1年生のときに家族で日比谷に映画を観に行った帰りに、フォーリーブスのマネージャーにスカウトされて、彼らの合宿所に出入りするうちにジャニーズ事務所所属となっています。

1972年、郷ひろみさんはNHK大河ドラマ『新・平家物語』で俳優デビューし、同年フジテレビ系ドラマ『青春をつっ走れ』や『あしたに駈けろ!』に続けて出演しました。8月にはCBSソニーから歌手デビューを果たし、デビュー曲「男の子女の子」がオリコンベストテン入り。

11月には第14回日本レコード大賞新人賞を受賞し、一躍注目を集めました。

翌1973年にはブロマイド売上No.1となり、西城秀樹さん、野口五郎さんと共に「新御三家」と呼ばれるようになります。

1974年には初主演ドラマ『ちょっとしあわせ』の主題歌「よろしく哀愁」が自身初のオリコン1位を獲得。翌1975年にはジャニーズ事務所を退所し、バーニングプロダクションに移籍しました。

同年放送のドラマ『あこがれ共同隊』では西城秀樹さん、桜田淳子さんと共演し、人気を不動のものとします。

1976年に映画『さらば夏の光よ』で映画初主演を果たし、「あなたがいたから僕がいた」で日本レコード大賞大衆賞を受賞。1977年のドラマ『ムー』でコミカルな演技が話題となり、再びブロマイド売上1位に返り咲きました。

1978年の『ムー一族』挿入歌「林檎殺人事件」は『ザ・ベストテン』で1位を獲得し、社会現象となります。

1980年代に入っても勢いは衰えず、「お嫁サンバ」「哀愁のカサブランカ」などヒットを連発。1984年には国鉄キャンペーンソング「2億4千万の瞳〜エキゾチック・ジャパン〜」を発表し、代表曲の一つとなりました。

郷ひろみさんは歌、演技、そして華やかな存在感で昭和を代表するトップスターとしての地位を確立しました。



渡米〜再興期
1985年、郷ひろみさんは芸能活動休止を発表し、翌年ニューヨークへ渡りました。1987年に二谷友里恵さんと結婚し、フジテレビで披露宴が生中継され話題となりました。

1989年に帰国後、1993年には「僕がどんなに君を好きか、君は知らない」を発表し、ヒットを記録します。1994年と1995年には「言えないよ」「逢いたくてしかたない」で2年連続日本有線大賞優秀賞を受賞。

1998年に離婚と同時に著書『ダディ』を出版し、ミリオンセラーに。1999年、「GOLDFINGER ’99」で再ブレイクし、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞するなど、再びトップスターとして注目を集めました。

ニューヨーク充電以降
2001年、郷ひろみさんは紅白歌合戦出演を最後に音楽活動を休止し、再びニューヨークへ移住しました。2005年に「愛より速く」で日本での活動を再開し、同年50歳を記念したライブを開催します。

2006年にはデビュー35周年記念公演を行い、2009年には道頓堀でのゲリライベントで再び注目を集めました。2010年、55歳で日本武道館公演「55!伝説」を成功させ、紅白歌合戦にも復帰。2012年には徳武定祐さんの次女と結婚し、2015年のドラマ『天皇の料理番』では21年ぶりの連続ドラマ出演を果たしました。

以降もロックフェスやディスコイベントなどに積極的に参加し、2020年の「ウォンチュー!!!」では昭和・平成・令和の3時代でオリコンTOP10入りを達成。2021年には自身の楽曲を音楽配信サービスで公開し、デビューから半世紀を超えても第一線で活躍を続けています。

郷ひろみの配偶者の写真や人物像とは!


郷ひろみさんはこれまでに3回の結婚歴があります。

郷ひろみさんの最初の結婚は1987年に「二谷友里恵」さんとで、2回目は2000年の一般女性。そして現在が2012年の「徳武利奈」さんです。

最初の結婚では2人の女の子が生まれましたが、12年という婚姻期間に幕を閉じています。

2回目の結婚生活は5年間という短い期間でした。

そして、3回目の結婚では、2012年に郷ひろみさんは自身のウェブサイトで24歳年下の「徳武利奈(とくたけりな)」さんと結婚をしたことを発表しています。

現在の配偶者である徳武利奈さんは元プロ野球選手である「徳武定祐(とくたけさだゆき)」さんの次女でモデルとして活動をしていた時期があります。

女優としても活躍をしていた、郷ひろみさんの現在の妻は約1年ほどで引退をして、その後はコーセーの広報・宣伝部で会社員として働いていました。妻は東京都出身で上智大学を卒業していまる才色兼備な女性と言われています。

2012年10月にアメリカのハワイで挙式を行い、2013年1月19日には結婚披露宴を行っています。

2014年1月4日には郷ひろみさんは妻が双子を妊娠していることを発表しました。

当時、郷ひろみさんは58歳という還暦を目前に控える年齢だったためにファンは驚きを隠せませんでした。

同年の6月23日に双子の男の子が誕生しています。

郷ひろみさんは所属事務所を通して「大きな幸せと同時にこの上ない喜びを感じています」とコメントをしています。

郷ひろみと妻との馴れ初めは




郷ひろみさんと現在の妻との馴れ初めが気になるところですね。

郷ひろみさんと妻は2010年頃に出会ったようですね。

当時、妻は外資系企業に勤めていたキャリアウーマンでした。その時に共通の友人を通じて知り合ったと言われています。

郷ひろみさんは妻の人柄や知性にすぐに惹かれてしまったようですね。

これまでに2回の結婚歴がありましたが、郷ひろみさんは初めて「自分というものを自然体でさらけ出すことの出来る相手に巡り会えた」と実感をしたそうです。

交際を申し込んでからのお付き合いは慎重に進められたようで、約2年の交際期間を経て結婚に至っています。

妻は英語だけではなく中国語も堪能だという噂があるように、郷ひろみさんと出会う前から自立した女性であることがわかります。

結婚当初は年の差婚のために賛否が分かれていましたが、年月が経つにつれて世間の声は次第に好意的に変化をしたようです。