萩原流行の事故真相の衝撃の真実とは?警察に不信を抱いた理由

萩原流行の俳優としての活躍とは?

萩原流行さんは俳優やタレント・ダンサー
として活躍をしていた方です。

 

1953年4月8日生まれで
2015年4月22日62歳の若さで
亡くなられています。

 

東京都世田谷区出身で
「世田谷学園中学校」
「世田谷学園高等学校」を卒業
しています。

 

デビュー作で大抜擢をされました。

 

初期の俳優活動では2時間ドラマの
卑劣な犯人役をすることが多かった
ために地方ロケでは地元のおばあさん
から石を投げられることもあった
そうです。

 

その後は、多くの舞台やテレビドラマ
などを中心に俳優としての活躍を
しました。

 

2000年代以降は役者活動だけでは
なく、バラエティ番組にも出演を
していました。

 

2008年12月自身の俳優としての
DNAを継承すべき場として
萩原流行のアクターズスタジオを
開設しています。

萩原流行の事故真相の衝撃の真実とは?警察に不信を抱いた理由

 

萩原流行さんは2015年4月22日に
事故で亡くなられています。

62歳という若さで多くの人は衝撃を
受けました。

 

萩原流行さんは
2015年4月22日に東京都杉並区
高円寺南の青梅街道において、
店頭したハーレーダビッドソンの
そばに倒れているところを発見され
病院に搬送されましたが、約1時間半
後に死亡が確認されています。

 

この事故については萩原流行さん
の嫁が警察に不信を抱いています。

 

警察庁杉並警察署と同庁交通捜査課に
よると、事故当時3車線の中央車線を
走行中に、左側から車線変更をした
警視庁高井戸警察署の護送車と接触をし
転倒・・道路に投げ出されたところを
後方からきた乗用車に胸部を轢かれたと
みられています。

 

当時、萩原流行さんが前方を走行する
車両い追い越しをしかけていた際に
バイクが不安定にふらついていたという
目撃情報もあるようです。
萩原流行さんはうつ病を患っていたこと
もあって、事故当日の薬の服用なども
含めて調べをすすめたようです。

 

護送車を運転していた警部補は
気がつかなかったと述べていました。

 

しかし・・・ここで萩原流行さんの
嫁は多くの不信感を警察に抱くことに
なります。

 

その後嫁は記者会見を開いて
当初は護送車ではなワンボックス車
と発表したことや、死因を心房破裂死
と説明されていたが
死体検案書には死因不詳とされたこと
など、警察により遺族に情報が伝わらず
警察に対して不信感があることを告白
しています。

 

さらに約2ヶ月後嫁が記者会見を開き
警察側の説明について
ネット上にある事件直後の動画などと
食い違う部分が多いと改めて
不信感を示しました。

 

高井戸警察署による謝罪については
実況見分時の署員の言動を理由に
拒絶をしています。

 

萩原流行さんの嫁は
事故当時、うつ病による影響を強調
するような警察発表・報道がなされた
ことに関して
事故をたびたび起こしていたと表現
されたり、うつ病が原因しているという
誤った報道により傷つけられた
萩原流行の名誉を回復することを
一番に考えると語りました。

 

その後、同年の8月14日に
司法解剖の結果、左心房破裂および
多発肋骨骨折を含む高度胸部外傷
と報告されています。

 

同年、9月10日に護送車のドライバー
だった高井戸署の男性警部補が
自動車運転過失死傷の疑いで書類送検
されています。

 

その後の話で
高井戸署の男性警部補が車線変更時
に萩原流行さんのバイクをみたものの
譲ってくれるだろうと思ったと話して
いたことがわかっているようです。

 

車線変更時にバイクとはわからなかった
がライトをつけた車のようなものが
走ってくるのは見えた。譲ってくれる
だろうと思ったと説明をしています。