コシノジュンコの何がすごいのか解説!夫や娘や息子との関係とは

コシノジュンコの何がすごいのか解説!夫や娘や息子との関係とは

コシノジュンコの経歴

コシノジュンコさんはデザイナーとして活躍をしている方です。

コシノジュンコさんは1939年8月25日生まれで、大阪府岸和田市出身です。

大阪府立岸和田高等学校から文化服装学院に進学をして2年の基礎コースを1年で終えて、飛び級で小池千枝さんの担当するデザイン科へ進みました。

1960年、新人デザイナーの登龍門といわれる装苑賞を最年少の19歳で受賞をしています。

銀座小松ストアー(現・ギンザコマツ)」への出店を皮切りに、1966年(昭和41年)、東京・青山にブティック「COLETTE」を開店。1978年(昭和53年)にパリ・コレクションに初参加。1985年(昭和60年)、北京で中国最大のファッションショーを開催。1990年(平成2年)には日本人初のショーをベトナムで、また1996年(平成8年)にはキューバで外国人デザイナーとしては世界初のショーを開催して話題となった。2009年(平成21年)8月22日にはミャンマーで著名外国人デザイナーによる初めてのファッションショーを開催し、翌23日には講演を行い、現地繊維産業界から日系企業、地元経済界の関係者から一般観衆までおよそ800人が参加しました。

フジテレビのお笑いバラエティ番組『オレたちひょうきん族』のタケちゃんマンの敵として登場した「アミダばばあ」の衣装デザインも担当しています。

2011年より、花園大学客員教授に就任

2017年、文化功労者、2025年国際博覧会誘致特使

2021年5月、服飾分野における卓越した業績と世界のファッション界に対する貢献、日本とフランスを結ぶ芸術と友好の絆を深めた功績からフランス政府レジオンドヌール勲章シュヴァリエを受章しています。

2022年、旭日中綬章受章

コシノジュンコの何がすごいのか解説!

コシノジュンコさんといえば世界的デザイナーとして有名なのは誰もが知っている事実ですが、一体何がすごいのか?と問われると一言では説明できないかもしれませんね。

コシノジュンコさんがデザイナーを志す時代は現在とは全く違い戦後です。戦後といえば女性が社会の第一線で活躍をするなど思いもしない時代でした。

そもそもコシノジュンコさんにはデザイナーとしての才能がありファッションデザイナーの登竜門といわれている「装苑賞」を最年少で受賞しています。

1978年から22年間パリコレクションに参加するという偉業を成し遂げています。

オペラ「魔笛」やブロードウェーミュージカル「太平洋序曲」など舞台衣装も多く手がけています。

日本だけでつくられたデザイナーというポジションではなくしっかりとした実力を認められた世界的デザイナーということがわかります。

欧米諸国はアジアの一国である日本に対して忖度は働かないために本当に実力があるものでなければ認められないのが事実です。そんな欧米諸国にも世界的デザイナーとして認められたコシノジュンコさんはすごいの一言ではないでしょうか。

コシノジュンコさんの何がすごいってやはりマインドかもしれません。過去の出来事はすべてゴミだとおもうぐらい前しか見ていないと語っています。

「年齢なんて関係ないの!私は今が一番楽しいし、今がいちばん若くて元気なの。」「もう若くないし」と何かを諦めるなんてナンセンス!とも語っています。

コシノジュンコさんはこうも語ります「私たちが生きているのは今なんだし、信用できるのは今だけですよ。今日を大切に。今の自分が楽しくて有意義だと思うことに集中するのが大事ですね」

コシノジュンコさんはデザイナーとしてのポリシーは絶対的に曲げないために自分のブランドの服しか着ないそうです。

他のデザイナーの服を着ていて「いいわね」と褒められて「これあなたの?」と言われたときに「いいえ」って言いたくないそうです。

コシノジュンコさんは子供の頃から親御さんが服を作ってくれていたために外で洋服を買ったことがないそうです。

つまりは産まれてこのかた親か自分のブランドのデザインした服しか着たことがないということですね。

何かを成し遂げるそして続けていく方の信念は一貫して清々しさを感じます。

コシノジュンコの夫とは1度目の結婚と2度目の結婚

コシノジュンコさんは1964年に1度目の結婚をしています。夫になった方はカメラマンの「斉藤亢(さいとうつよし)」さんです。

夫は日本宣伝美術会賞を受賞してコシノジュンコさんは装苑賞を受賞したという共通点から馬があい結婚までとんとん拍子に進んだようです。

結婚生活は4年間で当時はグループサウンズやディスコなどが大流行している時期で毎日のように友達と繰り出しては朝方まで踊って飲んで遊んでいたそうです。

家に帰ると夫の斉藤さんに怒られる生活を続けていたそうです。

いまになって考えると自分はまだ遊びたかったので結婚なんかしてはダメだったと思っているそうです。夫の斉藤さんはとても真面目だったので本当に悪いことをしたと感じたそうです。

そして、2度目の結婚。夫は現在の会社の代表をやっている「鈴木弘之」さんです。

2度目の夫との出会いは自動車教習所だったそうです。コシノジュンコさんが失効した免許の再取得のために教習所に通っていたそうです。

夫も通っていたそうですが教習所ではあまり会話はなかったそうですが、自宅が偶然にも同じ西麻布だったこともあり交流が深まったそうです。

夫はもともと実業団のサッカー選手だったそうですが手に職をつけようとヘアデザイナーに転身をしていたそうです。

そんなときにかわいがっていたヘアデザイナーから「ジュンちゃんの彼、ヘアの仕事をしているのなら僕のお店を任せたい」と連絡があったそうです。そして彼は渡仏することになったそうですが・・・・

その後、帝国ホテルでのファッションショーで仕事を頼んだときに彼は腕のたつスタッフを連れてきて指揮をとっていたそうです。さらには演出家とのもめごともなんとかなだめていたのも彼だったそうで、「シビアに人を見極めれる人なんだな」と感じたそうです。

コシノジュンコさんがあるとき、会社のことで悩んでいるの察して「会社手伝おうか」と言ってくれたことが結婚の決めてになったそうです。

出会って8ヶ月の1975年に結婚をしています。

コシノジュンコの息子とは

コシノジュンコさんと2番目の夫との間には息子さんが一人います。

順之(よしゆき)さんです。コシノジュンコさんが40歳のときに生まれた子供で現在はコシノジュンコさんのブランドで常務として両親を支えています。

息子さんがお腹にいるときにはパリコレの真っ只中でそれからも世界をまたいで活躍する日々だったために息子さんは母親についていけないことも多かったそうです。

息子さんが幼稚園のときにもコシノジュンコさんが幼稚園の文化祭をプロデュースし自らデザインを担当して飾り付けやすべて自分でやってしまうほど気合いを入れて作業をしていたそうですが、気合いが入りすぎて本番当日に息子さんを家に置いて自分だけが会場にいたこともあったのだとか。

高校のときにはコシノジュンコさんのトレードマークでもあるおかっぱ髪から三つ編みヘアにチェンジをしていたそうです。ただ入学式にその髪型で来て欲しくなかった息子さんはその頭で絶対にこないでとお願いをしたそうですが・・・・コシノジュンコさんはストッキングをターバン代わりにするという奇抜なファッションスタイルで現れて友達に「お前のおかん、頭いかれたんちゃう」と言われたそうです。

そのぐらいの突飛な感情を持っていないと世界的なデザイナーには到底なれないということですね。