宮川一朗太の離婚理由はお金の問題だった!再婚相手の存在とは

宮川一朗太の離婚理由はお金の問題だった!再婚相手の存在とは

宮川一朗太の経歴

宮川一朗太さんは俳優・声優・ナレーターで活躍をしている方です。

宮川一朗太さんは1966年3月25日生まれで、東京都新宿区出身です。

晃華学園小学校、武蔵中学校・高等学校卒業。早稲田大学第一文学部に進学していますが、大学を1990年に中退しています。

中学生の頃に見たドラマ「3年B組金八先生」第一シリーズで小学校の同級生が出演をしていることに気づき、このことをきっかけとして役者の仕事に興味を持って、高校在学中に劇団「東京芸術学院」に入所をしています。

1983年、16歳の時に『家族ゲーム』のオーディションで、約3,000人の応募者の中から合格し、主人公・沼田茂之役で主演デビューを果たしています。

日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞し、若手俳優のホープとして大きな注目を集めた[4]。以後、ドラマ、映画を中心にバイプレーヤーとして活躍しています。

バイプレーヤーとは
映画、ドラマ、舞台などで、主役を支える脇役、またはその役者を指す言葉です。

1984年頃は、フジテレビの『青い瞳の聖ライフ』など等身大の高校生などを描いたテレビドラマに相次いで重要な役どころで出演。1980年代後半は、『姉妹坂』などの映画で助演として好演を見せています。

20代になったころは見た目の好青年のイメージを逆手にとった悪役まで幅広くこなすようになりました。

世界で大人気になったバックトゥザフューチャーに出演をしていた「マイケル・J・フォックス」の吹き替えも担当をしています。

2013年、ドラマ『半沢直樹』で、江島副支店長役(銀行支店長の腰巾着で、部下たちには横暴な態度を取り威張り散らすという役柄)で、新境地を開拓し、善人から一癖も二癖もある役柄まで幅広く演じられる俳優として認知されました。

2021年には横浜市に自身が経営する「いち塾」を開校。通常の学習塾としてだけでなく芸能コースも併設し演技指導も行っています。

宮川一朗太の結婚での妻の詳細や離婚理由とは


宮川一朗太さんは1990年にフリーライターの「山田佳奈子」さんと結婚をしています。

結婚後に2人の娘さんが生まれています。しかし、結婚生活は厳しいもので日頃から喧嘩が絶えなかったようです。

2003年に別居をすることになったのですが、宮川一朗太さんが一口馬主として175万円を使ったことがバレてしまい、口論になったようですね。妻が家を出て別居状態になったそうです。

2005年頃ぐらいに妻が家に戻ったそうですが、関係を修復することはできなかったそうです。

そのために2005年6月に離婚届を提出しています。

いきなり一口馬主になったから別居といったことではなく宮川一朗太さんはそもそも競馬好きとしても有名でギャンブル好きです。それまでにもめていたことが想像できますが、一口馬主での使い込みは内緒で、維持をするには年間100万〜200万かかることから妻は怒りを抑えきれなかったのでしょうね。

家を出ていって2年後に戻った妻は宮川一朗太さんがドラクエのゲームにはまって家庭を顧みているようには思えなかったことが最後の決め手になってしまったようですね。

妻は2人の子供をおいていってしまったので親権は宮川一朗太さんが持つことになりました。

宮川一朗太の2人の娘




宮川一朗太さんと妻との間には子供さんが2人いました。離婚当時は小学校4年生と小学校2年生だったそうです。

離婚後は男手一つで娘さん達を育てていたそうですが、貯蓄がゼロになってしまう時期もあって、やむを得ず学資保険にも手をつけてしまったこともあったそうです。

学生時代には反抗的だった娘達ですが、「今日こうして笑っていられるのはお父さんのおかげです。ありがとう」と感謝の気持ちを語っています。

2023年には初孫も誕生をしているようです。

初孫が誕生をした同年には元妻が病気を患っていたようで自宅に迎え、娘達と最期を看取ったそうです。

結婚生活では大変な思いをさせたことをきっと宮川一朗太さんは心に残っていたのでしょうね。最期は娘達の母親を見捨てることなく看取ったことは娘さん達もきっと感謝をしているでしょうね。

宮川一朗太の再婚相手の真相とは




宮川一朗太さんは2005年に離婚をして以来は娘さんたちを育ててきました。再婚は現在までしていません。

数年前には娘ぐらい若い女性に思いを寄せているということをテレビで語っていたようですが、お付き合いとかには至っていないようですね。