SMAP作詞家の森浩美の作品や作詞から見るSMAPへの思いとは!

SMAP作詞家の森浩美の作品や作詞から見るSMAPへの思いとは!

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森浩美の過去や作詞家としての活動が?

森浩美さんは作詞家であり小説家として
活躍をしている方ですね。

 

1960年生まれなので、2017年には
57歳になります。

 

少年時代には「巨人の星」に憧れて野球に
没頭していたそうです。

 

現在も過去の巨人ファンから継続して強烈な
巨人ファンだそうです。

 

高校2年生のときにワシントンからきた
ホームステイを受け入れた経験や
大学受験を失敗したことを契機に自らも
ロサンゼルスへ1年留学したそうです。

 

帰国後に仲の良い友人が放送作家の
「奥山侊伸」に弟子入りするというのに
ついていって自身も放送作家として仕事を開始
しています。

 

しかし、その後2,3年後に仕事に迷いが生じ
さらに両親へなんと説明をしたらわからず
自分の名前が1人で出る仕事ができると
1983年に作詞家に転向しています。

 

3年で目処をつけるつもりだったようですが

1986年の荻野目洋子の「Dance Beat夜明けまで」
が初登場4位を記録しました。

 

その後
森川由加里「SHOW ME」
田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」
とヒットが続いて作詞家としてブレイクを
しています。

 

作詞業の他にはミュージカル脚本の執筆や
広告代理店の新人研修の講師を務めるように
なっています。

 

1990年以降には企画の仕事にも多く携わって
いているようですね。

作詞活動が中心にありますが・・・
中でも多くの作詞を手がけたアーティストが
SMAPになります。

 

森浩美さんなしではSMAPの楽曲は語れない
というぐらいの貢献度になります。

SMAP作詞家の森浩美の作品や作詞から見るSMAPへの思いとは!

 

 

森浩美さんはSMAPに多くの作詞を提供
しています。

・$10
・オロジナルスマイル
・しようよ
・青いイナズマ
・ダイナマイト
・SHAKE
・BESTFRIEND
などなど多くの作詞を手がけていますが
この曲をみただけでもSMAPのイメージを作り
あげ、ヒットさせる要因が森浩美さんにも
あったようですね。

 

やはり売れる歌手には本人の実力と周りの
人に恵まれるという運があるのだというのを
感じさせられます。

森浩美さんはSMAPの解散を寂しく思っている
ようですね。

 

できれば80歳になっても歌い続ける彼らの姿を
見続けていたかった・・・と感慨深げに語りました。

 

SMAPが登場した1990年代といえば
アイドル氷河期といわれていて音楽番組がどんどん
なくなっていた時代です。

 

そんなときSMAPを大スターのポジションまで
上り詰めさせた森浩美さんはファンの間から
神様と呼ばれていました。

 

2016年11月3日に発売された25周年記念
ベストアルバムには50曲が収録されていますが
その中に森浩美さんの曲は8曲も入っています。

 

SMAPとの関わりが深いことを感じます。

SMAPといえば大人気のトップアイドルグループ
として活躍をしてきましたが・・・・

 

デビュー後にはかなりの苦労がありました。

 

デビュー曲がオリコンで1位にならなかった
グループは初めてのことだったんです。

 

その後もなかずとばずでアイドルとして売れる
見込みを見出せずにお笑いの分野に進出し
笑われるアイドルとしての立ち位置にメンバーも
苦痛を味わいながらの活動だったようです。

 

そんな中森浩美さんはどうにかSMAPに
売れる楽曲をということで一生懸命考えた
曲が「オリジナルスマイル」だったそうです。

 

森浩美さんは知っていたんですね・・・

苦労してやっと勝ち取った人気だということを
だからこそオリジナルスマイルの歌詞には
「山ほどむかつくことはあるけれど」という
言葉が盛り込んであるんですね。

 

SMAPをとてもわかっているからこそできた
曲だったということなんですね。

 

こんなにもSMAPの解散を悲しみ残念がる
人ばっかりなのに・・・・・・解散という結果
に追い込んだのは誰なのか?と思ってしまいます。

 

事務所が所属タレントやファンを苦しめる
なんて本末転倒な気がしてなりません。