名取裕子の元夫や夫の衝撃の真実とは!息子がいるのかなどの家族構成とは
名取裕子の経歴
名取裕子さんは女優として活躍をしている方です。
名取裕子さんは1957年8月18日生まれで、神奈川県横須賀市出身です。
座間市立栗原小学校、座間市立東中学校、神奈川県立厚木高等学校、青山学院大学文学部日本文学学科卒業しています。
俳優の六角精児さんのお姉さんと高校の同級生だったそうですが、お姉さんは六角さんに美人の同級生がいると名取さんのことを自慢していたそうです。学内には男子生徒による名取さんのファンクラブが存在していたほどだったようです。
大学在学中にカネボウ「ミス・サラダガール・コンテスト」に応募。準優勝を果たし芸能界入りを果たしています。当時の優勝者は「古手川祐子さん」
1976年東宝『星と嵐』で三浦友和の相手役募集に応募し、同作に出演をしました。翌1977年のTBSポーラテレビ小説『おゆき』で本格デビューを果たしました。その後、『3年B組金八先生』に出演して人気を得ています。
CMの演出を巡るトラブルで事務所と決裂し引退状態に追い込まれていたのですが、演出家和田勉によって『松本清張シリーズ・けものみち』に起用され打開しました。
松本清張作品に映画・テレビドラマ合わせて17本出演、「清張女優」と呼ばれました。
1982年放送の主演作「松本清張の指」は「火曜サスペンス劇場」枠での歴代最高視聴率(28.0%)を記録しています。
2022年10月13日、くれ観光特使に就任しています。
2023年5月、茂田オフィス(1995年より所属)からホリプロ・ブッキング・エージェンシーに移籍。
名取裕子の元夫や夫の衝撃の真実とは!
名取裕子さんはとても美人で男性からも人気の高い女優さんです。多くの方は名取裕子さんが結婚をしているか気になっているようですが、現在までに結婚をしたという事実はないようですね。
名取裕子さんは14歳のときに母親をガンで亡くして、1年後に迎えた義母との関係に苦しんだそうです。
義母に「母親の着物と写真を捨てろ」と命じられて、弁当も新聞紙に包んだご飯にコロッケ1個だったと明かしています。
かつては、松任谷正隆さんや田村正和さんとの交際も報じられたようですが、ただ現場を抑えられたわけではなく鉄壁のガードを誇っていたようですね。
子供の頃の義母との関係が根強く名取裕子さんの中に残っていて、結婚後の義母との関係に未来を見出せなかったのかもしれませんね。
名取裕子さんにとっての長年の恋人は愛犬で約25年前からダックスフントを代々飼い続けているようです。
一方、確執のあった義母とは認知症の発症を機に若いして、20年近く献身的に介護をして2015年に看取っています。
実の親でも介護というものはとても大変で多くの人が苦しみ悩むことです。過去にひどい仕打ちを受けた相手を結局のところ介護をして看取るまでできるのは素晴らしい懐の深さを持った方というのがわかります。
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名取裕子の息子がいる?家族構成とは
名取裕子さんは結婚を1度もしておらず、息子さんもいません。
生い立ちがかなり複雑で苦労をしてこられたようです。実家では多いときには13人が暮らす大家族だったようですね。
父・母・兄・名取裕子さん・祖父・祖母・叔父・叔母などなど、、、、、
名取裕子さんの父親
父親は「名取勲(なとりいさお)」さん。1923年生まれで、日本大学工学部卒業しています。職業は電車の製造会社に勤務していた会社員だったようです。
幻覚な父親でしたが、名取裕子さんは「最愛の父」と表現するほど仲がよく、1996年73歳で父親が他界するまで介護をしていたそうです。
名取裕子さんの実の母親
名取裕子さんには前述したように実の母と育ての母がいました。
実の母は「名取只子」さんで1926年生まれで高等学校を卒業しています。当時としてはかなり高学歴な女性だったそうです。実の母は挨拶には厳しかったそうで、人に何かをして頂いたときには感謝を伝えることを常に言われていたようです。
優しかった実の母親は名取裕子さんが14歳のときに病気で他界をしています。
名取裕子さんの継母
実母が亡くなった1年後に、父親は再婚をして継母を迎えています。
継母は初婚で当時48歳だったそうです。
継母は「私はお嫁さんになったのであって、あなたたちの母親になるつもりはない」と言って、お弁当のおかずも父親には豪華なチキンで、名取裕子さんと兄には白米の上にコロッケだけを新聞紙に包んで渡したそうです。
実母の写真を捨てるように迫られたり、修学旅行に行きたいと言ったら通帳を投げつけられたこともあったそうです。
名取裕子さんは義母を疎ましく思うようになって、一刻も早く家を出たいと思うようになりました。
独り立ちした後に名取裕子さんは少しずつ義母の気持ちが理解できるようになって、少しずつ心を通わせるようになったそうです。
両親のために家を建てたり、旅行に連れていったりもしたそうです。
父親が亡くなった後に、義母は人が変わったようにふさぎ込むようになった姿をみた時に父を本当に愛してくれていたのだと感じたそうです。
幼少の頃の思いがあったものの、成長した後に心を通わせるようになった関係性や父親への愛情を感じた名取裕子さんは義母の面倒を見る覚悟を決めて、約20年近い長期間の介護担ったそうです。






