おすぎとピーコの結婚歴とは?現在は認知症発症して介護施設?
おすぎとピーコの芸能界での活動とは
おすぎとピーコさんはタレントなどで
活躍をしている方々です。
おすぎさんとピーコさんは双子で
どちらも1945年1月18日生まれです。
神奈川県横浜市保士ケ谷区出身です。
おすぎさんは
横浜市立桜丘高等学校
阿佐ヶ谷美術専門学校を卒業しています。
1975年のテレビ・ラジオデビュー以来
芸能界で活動をしています。
映画評論家としても活躍をしていました。
美術専門学校卒の技能を生かして
映画雑誌のレイアウトなどの仕事に
編集者として携わる一方で、テレビでの
タレント活動が「おすぎとピーコ」として
話題をよびました。
ピーコさんは
横浜市立桜丘高等学校
文化服装学院研究専門部を卒業しています。
芸能界との関係は26歳の時におすぎさん
経由で裏方としてドラマ衣装の製作を
頼まれたのが最初でした。
1975年おすぎさんとともに双子の
オカマコンビ「おすぎとピーコ」として
テレビ・ラジオデビューを果たしました。
1989年に悪性黒色種の診断を受けて
左目を摘出しています。
その時に義眼を挿入して黄色いレンズの
メガネをかけるようになりました。
おすぎとピーコの現在は認知症を発症して介護施設?
おすぎとピーコさんは双子のオカマ
ということで芸能界で一躍有名になり
お二人ともそれぞれに地位を確立
してきました。
若い頃は2人での仕事も多くいつも
一緒にいたこともありよく喧嘩をしていて
最終的には大喧嘩となり2人での仕事を
せずにそれぞれやっていくということで
折り合いをつけたようです。
しかし1989年にピーコさんの左目に
悪性腫瘍が見つかったときにはおすぎさん
はピーコさんが予定していた仕事をすべて
肩代わりして全国を飛び回っていたため
ピーコさんは仕事を減らさずに済んだ
ようです。
さらにおすぎさんはピーコさんのために
義眼を選んで友達とお金を出し合って
プレゼントをしたそうです。
手術後にがんの転移がないことを
知らされた時には2人は抱き合って
喜んだそうです。
おすぎさんは活動の拠点を年を重ねる
につれて福岡に移すようになりました。
東京には週1ペースで通う生活でした。
しかし、収録中に集中力が散漫になり
物覚えも悪くなり認知症の初期段階の
兆候が増えていったそうです。
そしてピーコさんとおすぎさんは同居
を始めて老老介護をするようになる。
しかしこれまでとはあまりに違う姿に
ピーコさんはショックを受けたようです。
お互い感情の起伏が激しくなり毎日の
ようにけんかをしおすぎさんが家を
追い出されて警察に保護されることが
続いたようです。
その後、一緒に住み続けるのは難しい
と高齢者施設におすぎさんは入居を
しました。
しかしピーコさんもまた心配な状態
のようで家はゴミがちらかり、身の回り
のことが何もできてない様子。
最近はピーコさんがおすぎが死んだ
お骨になって帰ってきたし葬式も済んだ
と妄言を言いふらしているようで関係者
を困惑させているようです。
ピーコさんはおすぎさんが施設に
入ったことを知らないそうです。
誰しも歳をとり誰しも認知症になる
リスクはおおいにあります。
お金がある方は施設に入るという
選択肢がありますがお金がない老人
が増えていき社会はどうなってしまう
のでしょうか・・・
現在の政治家に方々には日本の社会が
よくなっていく政策を必死に考えて
いただきたいです。
自分さえよければいいという考えでは
なくこれからの日本の人々が安心して
最期を迎えられるように。
おすぎとピーコの結婚歴とは?
おすぎとピーコさんは性同一性障害
です。
性同一性障害が現在ほど認知されていな
かったかなり昔からカミングアウトを
していたのでそれはそれは苦しい
つらい思いをたくさんしてきたのでは
ないでしょうか。
おすぎとピーコさんは過去にも現在にも
結婚歴はありません。
どんな立場の人でもどんな障害を
持っていようともみんなが安心して
幸せに暮らせる世の中になったらいいな
とこころから思います。