島田洋七の佐賀の自宅画像や現在の活動や年収とは?
島田洋八の幼少時代や芸人として売れるまでが?
島田洋七さんは漫才師・タレント・作家として
活動しています。過去に大ブレイクした漫才コンビ
「B&B」のひとりですね。
1950年2月10日生まれなので、2016年で66歳に
なります。
広島市白鳥九軒町出身です。
島田洋七さんが2歳のときに父親が原爆症で
なくなっています。
その後、小学校1年生の頃に佐賀の祖母に預けられました。
中学校を卒業するまでの8年間を佐賀の祖母とともに
生活をしていました。
中学校卒業ごに母親への思いがつのったことと
野球がうまかったということもあって
高校野球の名門である「広陵高校」に入学をしました。
高校へは野球特待生として推薦入学をしていますが
練習中に打球が左腕を直撃して肘を痛めて野球を
あきらめたようですね。
怪我のために高校1年生で退部をしたようです。
その後、「広島工業大学土木工学科」に進学をしたんですが
中退をしています。
八百屋に住み込みで働くなどした後に再び19歳のときに
佐賀に戻ったようです。
そこで現在の嫁に出会って20歳のときに東京に
駆け落ちをしています。
歌手になりたかったようですが嫁の貯金もつきはて
大阪に移ったようですね。
1970年になんば花月で「笑福亭仁鶴の落語」や
「中田カウス・ボタンの漫才」を観たことが
きっかけとなり芸人になることを決意したようです。
その後、吉本工業に入り仁鶴の弟子入りをし
「島田一の介」とコンビを組みましたがあまりにも
2人のなまりが強くて解散してしまいます。
1972年に「団順一」さんと初代B&Bを結成しています。
結局・・・・現在の相方である「島田洋八」さんは
三代目なんです。
島田洋七の自宅画像や場所とは?
島田洋七さんはB&Bとして売れっ子漫才だった
過去がありますが・・・・
漫才ブームが急降下して以来・・・・かなり苦しい
生活をおくっていたようですね。
しかし過去の祖母との経験を本にし
「佐賀のがばいばあちゃん」が売れに売れて復活を
とげるといった偉業の持ち主でもあります。
現在は、佐賀に自宅をかまえています。
がばいばあちゃん御殿ともいわれている大豪邸
ですね。
菜園生活などを楽しみながらの自然と融合した
生活をおくっているようです。
自宅は佐賀駅から車で20分ほどはしったところで
佐賀市東与賀町の444号線沿いだそうです。
かなり詳細にネットに場所がのっているようですが
佐賀ではかなり有名で観光バスが止まっている
ことがあるぐらい観光名所にもなっているようです。
島田洋七の現在の活動や年収とは?
島田洋七さんは現在は吉本興業をやめて「オスカー」
に移籍をしています。
吉本興業をやめると業界を干されるといわれていますが
ビートたけしさんの応援によってどうにか大丈夫の
ようですね。
仕事としてはタレント活動はもちろんのこと
講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいるようです。
島田洋七さんは過去に漫才ブームで売れっ子だった
ときには年収が8億ほどあったそうですね。
さらに「佐賀のがばいばあちゃん」シリーズの
印税は4億円ほどあったとか・・・・
現在は講演がほとんどの収入をしめるようですが
講演1回で100万円から120万円だということ・・・
年間に200回ほど行っているということなので
1億円はあるのではといわれています。