とよた真帆の旦那との馴れ初めや子供の詳細とは?父親や実家!生い立ちの衝撃とは
とよた真帆の芸能界デビューや経歴とは?
とよた真帆さんは女優・タレント・モデル
などで活躍をしている方です。
1967年7月6日生まれで、東京都出身です。
1983年学習院女子高等科在学中の
17歳の頃からモデルを始めて、1984年に
文化学院美術科へ転校をしています。
1986年にアニエス・ベーの日本人モデル
としてパリコレクションへ出演をしています。
1989年から女優業を開始しています。
とよた真帆の旦那との馴れ初めや子供は?
とよた真帆さんは2002年7月9日に
映画監督の「青山真治」さんと結婚を
しています。
旦那さんはとよた真帆さんよりも3歳
年上で、1995年にVシネマ
「教科書にないッ!」でデビューを果たし
ています。
2000年にはカンヌ国際映画祭で
「EUREKA」が「国際批評家連盟賞」
「エキュメニック賞」を受賞するなど
映画監督として高い評価を受けています。
とよた真帆さんと旦那さんの青山真治
さんとの馴れ初めについて調べてみました。
2001年に公開された映画「月の砂漠」
は監督が青山真治さんです。
旦那さんはたまたまテレビで見た
とよた真帆さんの演技を見て、この映画
の出演をオファーしたそうです。
とよた真帆さんも旦那さんの青山真治
さんの作品が元々すきだったこともあって
仕事のオファーを引き受けたそうです。
とよた真帆さんは旦那さんの青山真治
さんの心の孤独に触れたことで
サポート役になりたいと思うようになった
そうです。
お二人の間に子供さんはいません。
とほた真帆さんの旦那さんの死因が?
とよた真帆さんの旦那さんは
2022年3月21日に食道がんのために
お亡くなりになりました。
57歳というあまりにも若い死でした。
旦那さんは2021年春ごろから食道がんの
治療をうけていたそうです。
しかし、病院から急変したとの連絡を
受けて駆けつけたそうです。
声をかけたらとよた真帆さんの目を見て
2回うなずき、手をぎゅっと握り返して
くれたそうです。
それから半日、最後は眠るように静かに
息をひきとったそうです。
優しくて勉強家だった旦那さんから
もらった時間や愛情に深く感謝している
と、とよた真帆さんは語ります。
旦那さんは仕事をする、とよた真帆さんを
いつも応援していてくれたのであゆみを
止めることなくゆっくり前に進みたい
と語っています。
とよた真帆の生い立ちが衝撃!父親や実家の話
とよた真帆さんの父親や母親や実家の
詳細とは?一体・・・
とよた真帆さんは両親と兄と姉の5人
家族でした。
父親は大手広告代理店で20代で部長に
なるなど優秀な広告マンだったそうです
自分で立ち上げた会社が倒産して、
家を出ていってしまったのだとか。
とよた真帆さんは当時、2.3歳だったの
で自分には父親がいないと勝手に思い
こんでいたそうです。
その後、父親とは定期的に会い相談
などもしました。
とよた真帆さんは父親のことは嫌いには
なれなかったそうです。
父親も悩んだはずだと・・
父親がいなくなった後は、父親が残して
くれた銀座のバーに立って、母親が生活
を支えてくれたそうです。
お母さんは懐が深く
「仕方ないねぇ、お父さんは・・」と
言いながら子供たちに愛情を注いでくれた
のでした。
母親の人柄もあり、バーは著名な作家の
方々常連客の知る人ぞ知る店になった
そうです。
とよた真帆さんは17歳でモデルの仕事
を始めていますが、モデルをしたかった
のではなく、母親を支えるためにいち早く
自立をしたかったのだとか。
芸能界の仕事を始めたときは悩んだり
苦しんだりの連続だったそうですが
だんだんと興味が湧いてきたそうです。
モデルで得た収入で学費を払って
残りは貯金をしていました。
20歳のときに母親に伊豆高原の家を
プレゼントしたのです!
現在は二世帯住宅を建ててお母さんと
同居をしているそうです。
とよた真帆さんの母親は
「恩は恩で返ってくるのよ」と口癖
のようにいっていたそうです。
まず、自分で自分の面倒をみるという
気概を持たなければならないことも
母親は教えてくれていたのだと思うと
とよた真帆さんは語りました。