わろてんかのてんのモデルは吉本せい!家系図や人生について衝撃の

わろてんかのてんのモデルは吉本せい!家系図や人生について衝撃の

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2017年10月2日から放送が始まった
NHK連続朝のテレビ小説「わろてんか」の
主役の「てん」は吉本せいさんという人の
生涯をモデルにしていると言われています。

 

わろてんかのモデルとなった吉本せいさん
とは一体どんな人物なんでしょうか?

 

1989年12月5日に生まれています。

いまや芸能界でも大きな力を握っている
吉本興業の創業者です。

 

1989年に兵庫県明石市で米穀商の三女
として生まれています。(第4子)

 

 

吉本生産の家系図はこちらから見ることができます。

1910年4月20歳のときに大阪市東区
内本町橋詰町の「箸吉(はしよし)」の息子
吉本吉兵衞(通称吉本泰三)と結婚をしています。

 

箸吉は高級料亭に箸を収める老舗荒物問屋
でありました。

 

吉本せいさんは義務教育を終えると大阪
の商業の中心地・船場の実業家のところへ
奉公にだされました。

 

そこは奉公人の食が進むと損をするという
ことから食事中に悪臭を漂わせるなど徹底
して倹約に努める風習でした。

 

吉本せいさんは奉公先で徹底的に鍛えられ
無駄なお金は使わないという大阪商人の
マインドを叩きこまれたようです。

 

嫁ぎ先であった吉本吉兵衞の家も商売は
うまくいっておらずせいさんが債務者から

取り立ての対応をすることもあったようです。

 

姑は大変厳しくて手にあまるほどの家事を
任せた上に嫌味を言い続けたようです。

 

旦那である吉兵衞は家業や家族に関心が
なく当時流行した剣舞にのめり込んで芸を
披露したくて地方巡業までしていたようです。

いわゆる道楽夫というわけですね。

 

荒物問屋がどんどん傾いていったため
天満天神裏にあった寄席の経営権を買い取り
芸人を集めて興行を始めました。

その後・・・・吉本興行は多くの寄席を
買収して「花月」と名付けていまでいう
フランチャイズ化をしていきました。

 

吉本せいさんは芸人の心を掌握していて
客の喜ぶことを次々と実行する気働きが
あったために商いを大きくしていきました。

 

当時人気を得ていた落語家を引き抜き
「万歳」と言われていた演芸を「漫才」
に変えて人気コンビに育てあげました。

吉本せいさんは気がきくことだけではなく
時代の先を読む目もあったので大衆にうける
笑を生み出し続けました。

 

1924年に旦那さんはなくしましたが
そのころには弟2人の手を借りて成功を

収めていました。

 

1938年には新世界の一角に立つ通天閣
のオーナーになる慈善事業にも携わって
います。

 

その後、多くの困難に見舞われて窮地に
立たされました。その上後継者にと期待して
いた次男が24歳という若さで他界をしてしまいます。

 

吉本せいさんをモデルにしていると
いわれている「わろてんか」ですが・・・

 

生まれた家の商いの違いや性格の違いなど
がありモデルのような人生と脚本をされた
人生が入り混じっているようなので
わろてんかの内容は必ずモデルの人生と
かぶるようなものではないようですね。

 

ある種、現代の風潮にマッチして受け入れられる
ようにアレンジが加えられているようです。