中村正人(ドリカム)の年収が驚愕の金額で!嫁との馴れ初めや子供とは

中村正人(ドリカム)の年収が驚愕の金額で!嫁との馴れ初めや子供とは

中村正人(ドリカム)の経歴

中村正人(ドリカム)さんはミュージシャンや音楽プロデューサーとして活躍をしている方です。DREAMS COME TRUEのリーダーでベーシストです。

中村正人(ドリカム)さんは1958年10月1日生まれで、東京都調布市出身です。

市川市立第一中学校を卒業後に国府台高校に入学をしています。高校在学中にフォークソングやロック、あるいはR&B系のミュージックのバンド活動を始め、当時から演奏技術とセンスで頭角を現しました。

その後、青山学院大学在学中も音楽活動を行いつつ、セッションミュージシャンとしてとんねるず、中山美穂などのバックバンドでベーシストとして活動しています。

吉田美和(当時20歳)と出会う。当初は彼女の歌声に惚れ込み裏方(マネージャー業)で関わっていました。

1988年1月ドリカムの前身と言える「CHA-CHA & AUDREY’s PROJECT」を結成、一緒にライブ活動を行う様になりました。

当初は本格的に歌手・作詞家も目指していたが、吉田美和に「歌と作詞はやめた方がいいね」と言われ断念したそうです。

1989年3月21日、1stシングル『あなたに会いたくて』と1stアルバム『DREAMS COME TRUE』同時リリースでデビューを果たしました。


1989年の2ndアルバム『LOVE GOES ON…』、1990年発売の3rdアルバム『WONDER 3』は売上枚数100万枚以上を売り上げ、1990年代のアルバムセールスにおいて圧倒的な存在感を見せました。

1994年には映画「THE SWAN PRINCESS」のエンディングテーマ「ETERNITY」で海外進出しているのですが、移籍に関することなどで当時の日本の音楽業界の慣例を無視したものでした。

肝心のアメリカでの活動も芳しいものではなく失敗に終わりました。アメリカのレコード会社も首になり勉強不足もありそこでバンドが終わってもしょうがない状況にまで追い込まれました。

アメリカはその後完全撤退をしたのですが、日本においても完全に干される状態となって2年間は各放送局を謝罪行脚をして、その後仕事がもらえるようになったのは5年後だったそうです。

ただその年数の中でも大ヒット曲は順調に出し続けているためドリカムに危機があったと回想する方はほとんどいないのではないでしょうか。

結成当初は「中村正人」さん「吉田美和」さん「西川隆宏」さんの3人でドリカムの活動を行なっていましたが、かねてより多数のトラブルを抱えていた西川さんを事務所がこれ以上庇いきれないとして2002年に脱退をしています。その後、西川さんは覚醒剤取締法違反の容疑で逮捕されています。

ドリカムは現在では日本人は知らない人はいないぐらいのビッグバンドとして活動をしています。

中村正人(ドリカム)の年収が驚愕の金額で!

中村正人(ドリカム)さんはドリカムの立役者といっても過言ではない存在で名曲の数々も中村正人(ドリカム)さんがいなかったら存在していなかったでしょう。

そんな、中村正人(ドリカム)さんの年収が気になる方も多いようですね。

ドリカムが全盛期の大ヒット曲をバンバン生み出していた時には中村正人さんだけで年収が4億円を超えていたといわれています。

2006年に廃止された高額納税者番付には必ずといっていいほど名を連ねていました。

中村正人(ドリカム)の収入源

・CDやストリーミング再生
・ライブ
・テレビや映画やゲームなどの楽曲提供
・テレビ出演
・ライブグッズ売り上げ

中村正人(ドリカム)さんはすでにヒット曲を数多く出しその楽曲は作曲したものも多く現在も印税で多くの収入を得ています。

中村正人(ドリカム)さんの現在の年収は推定2億円を超えると言われています。

ドリカムのメンバーである吉田美和さんは過去の納税記録から中村正人さんよりも順位が高いランキングでした。

吉田美和さんも作詞や作曲にも携わり提供している曲も多いのが理由のようですね。

中村正人(ドリカム)の妻との馴れ初めや子供とは



中村正人(ドリカム)さんは2008年7月22日に結婚をしています。49歳のときで妻は29歳したの20歳でした。

沖縄出身6人組ロックバンド「HIGH and MIGHTY COLOR(ハイ・アンド・マイティ・カラー)」のボーカル「マーキー」こと翁長麻紀(おなが まき)さん。

馴れ初めについては明かされていません。ただ、49歳まで独身を貫いてきたのに出会いから数ヶ月で結婚を決断したスピード婚だったために多くの方が驚き話題となりました。

ドリカムのメンバーである吉田美和さんが2人の結婚の後押しをしてくれたようで、背中を押してくれた吉田美和にも感謝していますと語っています。

2009年10月10日に第一子である長女が誕生しています。

妻は結婚と同時にバンドを脱退していましたが、2013年に「MAAKIII」名義でソロ活動を始めています。

2018年にはライブツアーを決行して、約10年ぶりにファンの前で歌唱している姿を披露しています