伊藤みどりの子供や旦那の画像や仕事とは?現在は何をしているの?
伊藤みどりのフィギュアスケートの経歴とは?
伊藤みどりさんはフィギュアスケート選手
として活躍をしていた方です。
伊藤みどりさんは1969年8月13日生まれで
愛知県名古屋市出身です。
伊藤みどりさんは3人兄弟で兄と妹がいる
そうですが、小学校1年生のときに両親が
離婚をして母親に子供たちは引き取られた
そうです。
12歳の頃の将来の夢はオリンピックや世界
選手権でメダルを取ることやアイスショー
に出演をすることだったそうです。
東海女子高等学校から東海学園女子短期大学
に進学をしています。
短期大学卒業後はプリンスホテルに就職を
しています。
小学生のときは偏食で肉や野菜はほとんど
食べずに魚も秋刀魚とイワシ以外はほとんど
食べなかったためがりがりに痩せていたそう
ですが・・・・
偏食が治ってからは体重管理に苦労したそう
です。
中学時代には伊藤みどりさんの才能に着目
した西武鉄道グループのオーナーである
堤義明さんの経済的援助受けるようになった
そうです。
1992年アルベールオリンピック女子シングル
銀メダリスト。
1985年から1992年までは全日本選手権
8連覇の快挙を果たしています。
女子選手として世界初のトリプルアクセル
や3回転-3回転連続ジャンプに成功をして
います。
2004年には日本人として初めて世界フィギュ
アスケート殿堂入りを果たし・・・
2007年には国際スケート連盟は「伊藤は
たった一人の力で女性フィギュアスケートを
21世紀へと導いた」との声明を発表して
います。
Midori Ito, Mao Asada and now @mirai_nagasu landing the triple Axel. #伊藤みどり #浅田真央 #長洲未来#winterolympics pic.twitter.com/cdLrKTTphb @azayakanablue
— Sawako Sonoyama Clarin (she/her) (@SawakoSono) February 13, 2018
伊藤みどりの子供や旦那の画像や仕事とは?
伊藤みどりさんは日本や世界の女子フィギュア
スケートの偉業を成し遂げた方ですが・・・
結婚はしているのでしょうか?
伊藤みどりさんは2004年に元劇団四季所属の
ミュージカル俳優の「八巻大」さんと結婚を
していますが・・・
2006年に離婚をしています。
伊藤みどりさんは劇団四季が大好きだった
そうで、舞台を見にいった時に八巻大さんに
一目惚れをしたそうです。
離婚時には「もう2度と結婚はしたくない」
と実母にこぼすほど結婚生活はうまく行かな
かったようです。
離婚が原因でうつ病を発症してしまうほどの
精神的ダメージを受けてしまったようです。
その後・・・
2009年9月に一般人男性と再婚をしています。
傷心していた伊藤みどりさんを支えてくれた
男性だということです。
一般人ということで画像や仕事など詳細な
ことは明かされていませんが旦那さんは福岡
の北九州に在住していて、伊藤みどりさんも
結婚後は福岡に住んでいます。
伊藤みどりさんは2回の結婚で子供さんは
いません。
伊藤みどりの現在は何をしているの?
伊藤みどりさんはアイスショーではプロに
転校後も32歳までトリプルアクセルを跳んで
いたそうです。
しかし、伊藤みどりさんの代名詞でもある
トリプルアクセルが跳べなくなり、ショーを
引退しています。
それ以来はもう人前で滑ろうとは思わなかった
そうなんです。
さらには解説者など芸能的な仕事も選ばな
かったそうです。
41歳のときに転機が訪れます。
友人たちに誘われて41歳のときに参加した
2011年国際アダルト競技会です。
国際スケート連盟が主催する正式な大会で
28歳から90歳代まで世界各国の大人のスケー
ターが出場をします。
この大会を見てスケートをエンジョイする
気持ちを忘れていたことに気づいたそうです。
2012年にこの大会で伊藤みどりさんは
迫力のあるダブルアクセルを跳びました。
2019年に49歳で出場をしたのですが、
初めてアクセルが跳べずに失望をしたそう
です。
年齢的なものを考えてもう無理なのかと
自問自答をして32歳のときの失望に似た
体験をしたそうです。
そして・・・スケートへの意欲を失い時代は
2020年コロナ禍となりジャンプとは無縁の
日々を過ごすようになります。
福岡の北九州で子供向けのスケート教室は
開催していたもの、氷上に立つ程度で自ら
練習することはありませんでした。
コロナ禍もあり3年弱の時間が傷ついた心
と体を癒やし・・・3シーズンぶりに滑って
みると血が騒いだそうです。
2023年5月のISU国際アダルト競技会には
エントリーをしているそうです。
このプログラムで表現したいのは
「色々な次戦があっていいと思うので、今の
私の人生を表現できたらなっていう思い」と
語ります。