亀田興毅の現在の収入源は何からなのか?仕事や年収や資産とは

亀田興毅の現在の収入源は何からなのか?仕事や年収や資産とは

亀田興毅の経歴

亀田興毅さんは元プロボクサーとして活躍をしていた方です。

亀田興毅さんは1986年11月17日生まれで、大阪府大阪市西成区天下茶屋出身です。

幼少時代は人見知りで、よくいじめに遭っており、父・史郎の勧めで4歳頃から空手を始めています。

14歳の時に井岡弘樹とエキシビションマッチを行いました。

亀田興毅さんは2003年12月21日にデンナロン・シスソバ選手と対戦し、KO勝ちで華々しくプロデビューを飾りました。2005年にはグリーンツダジムから協栄ジムへ移籍し、3,000万円の移籍金が話題となりました。

2006年8月2日、横浜アリーナでファン・ランダエタ選手とのWBA世界ライトフライ級王座決定戦に挑み、2-1の判定勝ちで初の世界王座を獲得。しかし、その判定をめぐり「ランダエタ選手が勝っていた」との声が上がり、社会問題にまで発展しました。

2007年には弟・大毅さんのセコンドとして不適切な指示を行ったとして、日本ボクシングコミッションから厳重戒告処分を受けます。翌年、五十嵐紀行さんが会長を務める「亀田ジム」が設立され、2009年には協栄ジムへのファイトマネー未払いをめぐって訴訟を起こしました。

2010年にはポンサクレック・ウォンジョンカム選手に判定負けを喫し初黒星。父・史郎さんの暴言問題もあり、ジムは無期限活動自粛に追い込まれましたが、その後再出発を果たします。同年12月26日にはアレクサンデル・ムニョス選手を破り、WBA世界バンタム級王座を獲得。日本人初の3階級制覇という快挙を達成しました。翌年以降もダニエル・

ディアス選手、デビッド・デラモラ選手、マリオ・マシアス選手らを次々に撃破し、防衛を重ねました。

2012年には中学時代の同級生と結婚し、同年9月に長男が誕生。ウーゴ・ルイス選手との統一戦では2-1の判定勝ちで王座を守りました。

2013年には相次ぐ対戦相手の変更を経て、パノムルンレック選手、ジョン・マーク・アポリナリオ選手、孫正五選手らを破り、計8度の防衛に成功しました。

同年8月には次男も誕生し、私生活でも充実を見せました。そして同年12月、スーパーフライ級転向を決意し、WBA世界バンタム級王座を返上。これによりアンセルモ・モレノ選手との王座統一戦は中止となりました。

亀田ジム資格停止から国外移籍

2014年、亀田興毅さんをはじめとする亀田ジムは、日本ボクシングコミッション(JBC)との深刻な対立により活動停止処分を受けました。発端は、弟・大毅さんの試合を巡るグローブ使用問題で、会見後にJBC職員が亀田陣営から暴行・恫喝を受けたと訴訟を起こしたことでした。

しかし、東京地裁は2015年にJBC側の主張を虚偽と認定し、亀田ジム側が勝訴しています。とはいえ、同年2月、JBCは吉井慎次会長と嶋聡マネージャーのライセンス更新を認めず、事実上の資格剥奪処分としました。

これにより、ジムは興行活動ができなくなり、亀田三兄弟のボクサーライセンスも失効しました。興毅さんは他ジムへの移籍を試み、UNITED BOXING GYMや角海老宝石ジムへの加入を模索しましたが、いずれもJBCの審査で却下され、日本国内での活動が不可能に。

最終的に興毅さんは国外での再起を選び、2014年11月にアメリカ・シカゴで復帰戦を行い、KO勝ちを収めています。


引退・現役復帰・再引退

2015年10月16日、亀田興毅さんはアメリカ・シカゴでWBA世界スーパーフライ級王者・河野公平さんに挑みました。試合はアンドルー・フォンファラvsネイサン・クレバリー戦の前座として行われ、全米で中継されました。

序盤から亀田さんは反則のローブローで減点されるなど劣勢に立たされ、0-3の判定負けで4階級制覇はなりませんでした。試合後に現役引退を表明し、その直後の10月22日には三男が誕生しています。

2017年1月には日本ボクシングコミッションからトレーナーライセンスを取得し、協栄ジムで弟の亀田和毅さんや高野人母美さんらを指導。

また同年5月にはAbemaTV企画『亀田興毅に勝ったら1000万円』で4連戦を行い、1420万アクセスという大反響を呼びました。

2018年1月、再び現役復帰を宣言し、同年5月にはポンサクレック・ウォンジョンカムさんと公開スパーリング形式で対戦しTKO勝利。

しかし試合後、「ローマン・ゴンサレスさんと戦いたい」と引退を撤回しましたが、対戦は実現せず、同年11月10日に正式に2度目の引退を発表しました。

亀田興毅の現在の収入源は何からなのか?


2019年6月、亀田興毅さんはAbemaTV特別企画『那須川天心vs亀田興毅』でキックボクサーの那須川天心さんと対戦しました。3分3回、ヘッドギア着用の特別ルールで行われ、KOすれば1000万円獲得という内容でしたが、那須川さんの攻勢に防戦一方となり、KOは果たせませんでした。

2021年3月には大阪市西成区にボクシングジム「3150ファイトクラブ」を設立し会長に就任。翌2022年5月に「KWORLD3」へ改称しました。

同年6月には自身がJBCのプロモーターライセンスを取得し、主催イベント「3150FIGHT」を単独で開催。9月には弟の亀田大毅さんに会長職を譲り、自らは「ファウンダー」としてプロモーター業に専念しています。

亀田興毅さんは現役時代のファイトマネーの最高額は「1億円」ぐらいあったそうです。現役時代に稼いだ額はなんと「30億円」ほどあったそうです。

しかし、その半分は税金を払って、残りは買い物などで使い、さらには投資で7億円も失ってしまったそうです。

信用している方からの紹介だったために、最初に3000まねんを出して最終的には7億円も投資をしてしまったようです。

亀田興毅さんは世界チャンピオンになったときに防衛をすると何千万円も入ってくるので、その収入がずっと続くと思ってしまったそうです。

結局は稼いだお金を全て使い果たして財産がつきた状態で現役を引退したため、妻から子供の幼稚園代がないと言われて申し訳ない気持ちで一杯になったそうです。

現在はプロモーターに転身をしてご飯が食べられるほどには稼げるようになったそうです。

プロモーターとは
「プロモーターとは、主にスポーツやエンターテインメントの試合・イベントを企画・運営・宣伝する仕事を行う人のことです。ボクシングの世界では特に重要な役割を担っています」

亀田興毅の現在の年収は




現在はプロモーターとして生計を立てている亀田興毅さんですが年収はどのぐらいあるのでしょうか?

2022年からは他ジムとの共催ではなく、亀田興毅さんがJBCのプロモーターライセンスを取得して、単独開催していっているようです。

イベントには炎上系のYouTuber兼格闘家であるシバターさんなどが参加をしたりと話題性のある企画を立案しています。

「3150FIGHT」は規模は毎回異なるものの最大のキャパとしては5000人を超える大会場で開催することもあります。その内容を考慮すると推測ではありますが現在の年収は5000万円を超えていると考えられそうです。