
大山加奈の旦那の職業や双子の子供から見る現在の状況とは
大山加奈の経歴
大山加奈さんは元バレーボール選手として活躍をしていた方です。
大山加奈さんは1984年6月19日生まれで、東京都江戸川区出身です。
小学校2年生よりひまわりバレーボールクラブでバレーボールを始めました。小学生時代は喘息の発作に襲われる日々であったが、ハンデをバレーボールに打ち込むことで克服しています。
6年生時で身長が175cmあり、全日本バレーボール小学生大会(ライオンカップ)で全国制覇を成し遂げた事によって、バレーの金の卵と注目される存在になりました。
成徳学園中学に進学。成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)では、主将としてインターハイ・国体・春高バレーの3冠を達成し、小中高全ての年代で全国制覇を経験しています。
2001年に全日本代表に初選出され、翌2002年5月の日米対抗で代表デビュー。世界選手権と釜山アジア大会では、ただ1人の高校生プレーヤーとして出場を果たしました。
2003年、東レアローズに入団を果たしています。同年開催のワールドカップでは栗原恵と共に『メグカナ』と呼ばれ、19才コンビとして注目を浴び大活躍を果たしています。
アテネオリンピック・世界最終予選からは、サーブミス防止と腰痛の軽減のため、スパイクサーブ(ジャンプサーブ)からフローターサーブに変更しています。
2004年、アテネオリンピック出場。
2005年、持病である腰痛治療に専念するため、ワールドグランプリを欠場したが、同年11月開催のグラチャンで全日本代表に復帰。2006年、ワールドグランプリに出場したが、同年9月より右肩関節不安定症のため長期離脱し、世界選手権の出場は果たせませんでした。
2007年、2006-07プレミアリーグ終盤に試合復帰し、全日本代表候補選手に登録。同年開催のワールドカップに出場した。しかし大会後に腰痛が再発しています。
2008年、全日本代表候補選手に登録されたが、腰痛が回復せずに辞退。同年8月開催の北京オリンピック出場を断念した。同年9月、2006年7月26日付を最後に休止していたブログを再開し、脊柱管狭窄症のため、8月に手術を受けていたことを公表しました。
2009年、長いリハビリを経て3月15日にプレミアリーグで484日ぶりの試合復帰を果たしたのですが、全日本代表候補を腰が万全ではないことを理由辞退しています。
2010年6月29日、現役を引退 。
東レ一般社員となった後、8月3日より日本バレーボールリーグ機構に出向。2011年7月東レに復帰。当面は広報室に籍を置いて、バレーボールの普及活動にあたっている。その年のワールドカップでフジテレビバレーボール中継にリポーターデビューしています。
2014年5月29日、自身のブログで東レを退社し、ARS所属となることを公表しています。
2022年、WEリーグの理事に就任。同年、ヴィアティン三重女子のエグゼクティブアドバイザーに就任しています。
2024年からはプレーヤーディベロップメントマネージャー(PDM)を務める。同年、JDリーグの理事に就任しています。
大山加奈の旦那の職業や経歴とは
大山加奈さんは2015年9月28日にかねてより交際を重ねていた一般男性と入籍をしたことを自身のブログで明らかにしました。
大山加奈さんはバレーボールでオリンピックに出場を果たしていますが、バレーボール選手としてオリンピックに出場をするという夢と同じくらいに結婚するという夢があったそうです。
結婚当初は大山加奈さん自身のブログにも顔出しNGの状態で登場をして職業なども公表はしていませんでした。
しかし、2019年に顔も職業も公表しています。
大山加奈さんの旦那さんの職業は「全日本男子バレーボールチームをはじめ、数々のアスリートを治療しているベテラントレーナー」ということです。
2014年のアジア競技大会ではバレーボールのトレーナーとして帯同もしていたようですね。
名前は「緒方勝(おがたまさる)」さんで年齢は大山加奈さんよりも4歳年上ということです。
2016年のリオ五輪ではバレーボール男子日本代表チームのトレーナーとしてチームスタッフのメンバーになっているようですね。
現在はBody Updation(BU)という企業のスタッフの一員として、メディカルトレーニング等を行なっているようですね。
過去に大山加奈さんは好きな男性タイプとして「引っ張っていってくれる人」で苦手なタイプは「草食系」とあったので、旦那さんは引っ張っていってくれるしっかりしたタイプの方なのでしょうね。
アスリートで頂点を極めた大山加奈さんはスポーツ関係の方と結ばれたということですね。
大山加奈の双子の子供から見る現在の状況とは
大山加奈さんは2015年に結婚を発表しています。
その後、不妊治療を経て2020年9月28日に双子を妊娠中であることを公表しています。翌年2月に双子の女児を出産しています。
大山加奈さんは結婚してすぐの31歳頃から不妊治療に苦悩する日々を送っていました。
大山加奈さんは現役時代に怪我が多くて、痛み止めの薬を毎日服用していたし、脊柱管狭窄症で腰にメスも入れていたので何となく子供ができにくいんじゃないかと感じていたそうです。
結婚が決まった時にブライダルチェックを受けたそうです。
ブライダルチェックとは
「将来的に妊娠・出産を希望する人が、妊娠や出産に影響を与える病気や異常がないかを調べるための健康診断です」
すると、毎月排卵していない可能性があることを医師に告げられたそうです。
当時は30歳だったのですが、42歳〜43歳ぐらいの数値だったそうです。体を酷使してきたせいか体の冷えが酷くて、基礎体温も34度〜35度だったそうです。
結婚後にはタイミング法を1年間やったそうですが授からなかったために人工授精に切り替えたそうです。
人工授精は1年間に5回やったそうですが、ダメだったそうです。
その後、医師から体外受精を勧められたそうです。
体外受精の選択はかなり悩んでいたそうですが、医師からは早く決断をしないとそれさえも成功率が低くなると助言されて踏み切ることになったそうです。
体外受精にかかる金額は1回で60万円・・・・
初めての採卵では卵が5個とれたそうですが使える卵はほぼなく1個だけが可能性は低いが何とかなるかもということで子宮に戻したそうですが着床しなかったそうです。
これで心がポッキリ折れてしまったそうです。お金もかかるしまた同じことの繰り返しだろうという思いがあったそうです。
旦那さんの助言もあり豆柴を飼うことになったそうです。そこからはだんだんと心が安定をしていったそうです。
2年間は妊活を休んでいたところ、コロナ禍になり仕事のほとんどが中止になり心の余裕もできたことから体外受精を再開することになったそうです。
2歳年を重ねていたのに卵の状態が良かったといいます。
年齢的にも2つを子宮に戻したほうが確率はあがるが双子の可能性が高くなると言われて、旦那さんに相談をしたところ確率が高い方が良いということで子宮に2個戻すことにしたそうです。
そして、2021年に待望の子供さんを出産することができました。