ダイアナ妃の本物の事故写真からわかる暗殺説の真相とは一体?
ダイアナ妃の幼少時代や結婚から離婚が?
ダイアナ妃はイギリスの第1位王位継承者
ウェールズ公チャールズの最初の妃です。
1961年7月1日生まれで1997年8月31日に
満36歳という若さで事故で亡くなりました。
イギリスの名門貴族スペンサー伯爵家の令嬢
として生まれて1981年にチャールズ皇太子と
結婚をして「ケンブリッジ公ウィリアム王子」
と「ヘンリー王子」の2人の子をもうけました。
チャールズ皇太子とは別居状態となって
1996年に離婚をしています。
ダイアナ妃の生まれたスペンサー家は17世紀
以来続く貴族の家系でありました。
ダイアナ妃の両親は1969年に離婚をして
ダイアナ妃らの親権は父が得ています。
1977年に姉セーラと交際をしていた
ウェールズ公チャールズに初めて出会っています。
1979年に王室のようサンドリンガム邸のパーティ
で皇太子と再会したのがきっかけで皇太子と
親しい関係になって1980年に交際が深まって
います。
1981年2月に皇太子と婚約をして7月29日に
結婚式が行われました。
子供をもうけたあとぐらいから結婚生活や
家庭生活や公務についての皇太子との考え方
の違いで過食症に苦しむようになります。
皇太子も1980年代半ば以降にはダイアナ妃の
いる宮殿には戻らずにハイグローヴ邸で
暮らすことが増えて、カミラとの交際を再会
するようになりました。
離婚後にはエイズ問題や地雷除去問題など
慈善活動の取り組みを本格化します。
生前、ダイアナはファッションセンスを
高く評価されていて女性からの人気も高く
さらには慈善事業への積極的な取り組みも
評価されていました。
ダイアナ妃の本物の事故写真からわかる暗殺説の真相とは一体?
ダイアナ妃は1997年に交通事故で亡くなって
いますが・・・・
その事故の真相には数々の説が当時から
現在まで噂が消えていません。
ダイアナ妃が事故で亡くなったのは離婚をして
11ヶ月後という短い期間でおこりました。
ダイアナ妃は離婚後に恋人の存在が
明らかになっています。
「ハスナット・カーン氏とドディ・アルファイド氏」
です。
どちらかが本命だったのかはわかりませんが
事故当時一緒にいたのはドディ氏でした。
ホテルで食事をとった2人の前には大勢の
パパラッチの姿がありました、パパラッチを
まくためにおとりの車を何台か出発させて裏口
から用意された車に乗車した2人は深夜に出発を
しました。
その車には2人以外に運転手とボディガードの
2人が乗っていました。
つけてくるパパラッチを振り切るためにスピード
をあげた際にトンネル内の柱に激突して死亡
しています。
原因は運転手が飲酒していたためにハンドル
ミスをおかしたという公式の発表がありました。
しかし・・・・・暗殺ということが噂される
理由があったのです。
パパラッチが追いかけていたにもかかわらず
事故当時の写真がほとんど出回らなかった
のです。本当に追いかけていたのがパパラッチ
だったのか疑問の声があがりました。
さらには運転手が飲んでいたアルコール濃度が
ワイングラス8杯にあたると発表されて
いますが・・・このぐらいの量を飲むと
運転どころかまっすぐに歩けない状態になって
しまいますし、ましてやダイアナ妃とドディ氏が
飲酒に気づかなかったということにも疑問が
残ります。
さらに運転手はイスラム教徒の人だったので
お酒にはかなり厳しかったようなんです。
さらには、事故当時にダイアナ妃がドディ氏の
子供を妊娠していたのでは?という情報まで
飛び交いました。
ドディ氏の人種やあまりガラがよくないという
ことを懸念したイギリス王室が将来のイギリスの
王になる人と父親違いの子供をこの世に存在
させることを阻止するためだったのでは?
などというセンセーショナルなるな噂もたち
ました。
実際にドディ氏の父親がダイアナ妃から
妊娠しているという報告をうけたと語ったという
話もあったり・・・・
しかし、ダイアナ妃の妊娠を裏付ける証拠
は何もありません。
ダイアナ妃が亡くなったいま死の真相を
裏付ける決定的なものは何もないんですね。
古い歴史をたどってもそうですが
マリアントワネットなど由緒正しい高貴な
家柄に生まれて王のもとに嫁ぐ女性の悲劇的
な最後という共通点を感じずにはいられません。