藤子不二雄 a f 違いとは?ブラックユーモアやドラえもん
藤子不二雄 a f 違いとは?
藤子不二雄というとドラえもんという
作品を思い出す方が多いのではないでしょうか。
藤藤子不二雄a f 違いがわからない
といった方いるようなので詳細をまとめました。
まず、
藤子不二雄Aさんは
1934年3月10日生まれの富山県出身
「ふじこふじおえー」と読みます。
藤子不二雄Aさんは本名である
「安孫子素雄」という名義で活動すること
もありました。
代表作は
「忍者ハットリくん」
「怪物くん」
「プロゴルファー猿」
「笑ゥせぇるすまん」
「まんが道」などで青年・大人向けの作品を
多く手がけたことで有名です。
別名
「黒い藤子不二雄」とも呼ばれていました。
次に
藤子・F・不二雄さんは
1933年12月1日生まれの富山県出身
「ふじこえふふじお」と読みます。
本名は「藤本弘」さんです。
コンビ解消後1年ほどは
「藤子不二雄F」のペンネームで活躍を
していました。
代表作は
「ドラえもん」
「パーマン」
「キテレツ大百科」
「エスパー魔美」
「ジャングル黒べえ」などで児童・少年
向けの作品を多く手がけたことから
「白い藤子不二雄」と呼ばれていました。
二人は1951年にコンビを結成して
1954年から1987年まで活動をしていましたが
1987年にコンビを解消しています。
元々コンビで活動をしていた二人ですが
なぜコンビの解消に至ったのでしょうか?
長年活動を続けているとそれぞれに思う
ことも違ってきますし
世の中に訴える方法というのも違ってくる
ようですね。
上述したように
「藤子・F・不二雄」さんは
あくまでも子供たちに夢のある明るい
楽しい作品を描き続けたかった。
一方で
「藤子不二雄A」さんは社会の風刺的な
どこか横からみた作品も手がけたかった。
それぞれ漫画だけではなく文章も書いていて
藤子不二雄の名前を掲げて勝手なことは
できないという思いがあったようですね。
喧嘩別れをしたのではなくそれぞれ相手を
思ってそしてお互いに自由に活動するための
解消だったことも見てとれます。
藤子・F・不二雄さんにしろ
藤子不二雄Aさんにしろどちらも素晴らしい
作品で私たち日本人の根幹に宿り影響された
ものではないでしょうか
藤子不二雄死因やブラックユーモアやドラえもん
藤子不二雄Aさんのブラックユーモアと
いう短編集は長年愛され続けている
作品です。
笑うセールスまんのように
私たち人間の欲望や葛藤などを描き
どう生きていくべきかを問うているのでは
という深い作品にもなっていますね。
コンビ解消後の1996年に
藤子・F・不二雄さんが亡くなられています。
家族が夕食の準備を告げると仕事部屋から
返事がありましたがいつまで経っても食卓に
やってこなかったために娘さんが呼びにいったところ
机にむかったまま意識を失っているところを
発見されています。
そのまま病院に搬送されましたが
意識が回復することなく3日後の9月23日に
肝不全のため亡くなられています。
62歳という若さでした。
発見されたときには
「ドラえもん のび太のねじ巻き都市冒険記」
の62ページ目の下書きを書いている途中
だったそうです。
そして・・・・
2022年4月7日の午前8時40分ごろに
川崎市の自宅から
「敷地に男性が倒れている」と110番通報
があったそうです。
警察官が駆けつけると自宅の敷地内で
藤子不二雄Aさんが倒れていて
その場で死亡が確認されたそうです。
遺体に目立った外傷などはなかったそうです。
88歳でした。
お二人にはとても感謝して讃えている
方々も多いのではないでしょうか。
こんなにも影響力があり今もなお愛されている
作品をたくさん残してくださりありがとう
ございました。