生島ヒロシの借金返済の衝撃の真実とは?優木まおみとの関係が!

生島ヒロシの学生時代やアナウンサーそして独立とは?

生島ヒロシさんはアナウンサーやタレント
ファイナンシャルプランナーとして活躍
をしている方です。

 

1950年12月24日生まれです。

 

宮城県気仙沼市出身で
「宮城県気仙沼高等学校」を卒業後
「法政大学経営学部」に入学をしましたが
20歳の夏の1971年に大学紛争を機に
単身渡米しています。

 

1975年カリフォルニア州大学ロング
ビーチ校ジャーナリズム科を卒業

1976年4月にTBSにアナウンサー16期生
として入社しました。

 

1989年3月にTBSを退社し、独立をし
株式会社「生島企画室」を設立しました。

 

1998年から平日の早朝に
「生島ヒロシのおはよう定食」
「生島ヒロシのおはよう一直線」
を担当しました。

 

ファイナンシャルプランナーや
福祉住環境コーディネーターの
資格を持ち、自身の番組のスポンサー
でもある日興コーディアル証券の
CMに出演したり、ヘルスケアアドバイザー
として、コジマのストアサポーターに
就任しました。

2004年10月23日新潟市で行った
講演会を終えて帰京するため
新幹線に乗車しましたが、新潟県
中越地震の直撃を受けて約6時間も
新幹線の中に閉じ込められたそうです。

 

この経験から、防災士の資格を
取得しています。

2011年3月11日の東日本大震災発生時
ラジオを終えてから宮城県仙台市の
仙台国際ホテル4階に出向き、講演会を
行っている最中でした。

 

その後、仙台市から約15時間をかけて
東京にまで帰京しました。

 

気仙沼市の実家には妹夫婦が
住んでいたんですが津波に流されて
妹だけが5月に遺体で見つかりました。

 

義弟は未だに行方不明です。

 

妹夫婦は2月に85歳で亡くなった
母の納骨式を行うため
遺骨と位牌を携えて3月12日に上京
する予定でしたが母の遺骨と位牌も
津波の被害に遭い流失したそうです。

生島ヒロシの借金返済の衝撃の真実とは?

 

 

生島ヒロシさんは局から独立をして
1989年に生島企画室を立ち上げています
が・・・・

厳しい時代を経験したようですね。

 

平成元年から12、13年まではテレビ
の仕事が順調にあったそうですが
その後、テレビの仕事が週1の番組が
2本、3本・・・・

 

と同時に儲かると言われて
借金を10億円ほどしてしまった
そうです。

 

テレビの仕事があるときは常に
仕事があると調子にのっていたそう
ですが、1本大きいのがなくなると
ダダダと終わってしまったそうです。

 

当時はどうなっちゃうんだろうという
怖さで夜も眠れなかったそうです。

 

いかに自分が甘かったか
身の丈でやらなければと学んだ
そうです。

 

しかし・・・・

そんな生島ヒロシさんの窮地を救う
事が起こりました。

 

2002年から所属している優木まおみ
さんの存在です。

優木まおみさんはある日突然
「エロ賢い」というキャッチフレーズ
でブレークをしました。

 

その優木まおみさんのブレークの
おかげで借金完済となったようです。

 

10億円の借金が返済できるとは
優木まおみさんどんだけ稼いだ
んだ!いう感じですが・・・・

 

ネットでは10億円もの大金を返済
するとか、搾取しすぎやろという声
もあるようですが・・・・

 

タレントも事務所もお互いがあって
成り立つということはあります。

 

現に、優木まおみさんは
生島ヒロシさんに感謝をしている
ようで、お父さんのような存在と
語っています。

 

生島ヒロシさんの事務所はスタッフ
の入れ替わりが本当にないそうで
それだけ生島ヒロシさんが愛されて
いるとも優木まおみさんは語って
います。

 

過去には10人ほどだった所属タレント
も現在は78人という人数に増えて
いるそうです。