内館牧子の夫や子供の詳細とは?病気で顔が変わった?真実とは

内館牧子の夫や子供の詳細とは?病気で顔が変わった?真実とは

内館牧子の脚本家までの経歴や努力とは?

内館牧子さんは脚本家・作家・作詞家
として活躍をしている方です。

 

内館牧子さんは1948年9月10日生まれで
秋田県秋田市出身です。

 

出生は秋田県ですが、父親の転勤で4歳から
新潟県に移住をしました。

 

さらに小学校3年生から高校2年生までは
東京都大田区雪谷で育っています。

 

東京都立田園調布高等学校
武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科
を卒業しています。

 

大学卒業後には三菱重工業に入社をして
横浜製作所に勤務をしました。

 

当初は2~3年で寿退社をするはずだった
そうですがあてが外れたそうです。

 

仕事だけでは満たされずに三味線や
小唄など習い事をたくさんしていたそうです。

 

力士の髷を結う床山に志願をして
相撲協会に自ら売り込みましたが断られ
全国の新聞社に相撲記者の採用がないか
問い合わせたもののすべて断られたときに
29歳になっていました。

 

その後、会社帰りにシナリオライターの
学校に通うようになりある新人コンクール
で佳作をもらったことをきっかけに
NHKの新人脚本家養成講座の生徒に選ばれ
ました。

 

なんのあてもなく35歳で三菱を辞め
小学館の漫画雑誌の仕事を手始めに
NHKの番組や講談社の仕事などをこなしつつ
約4年間を過ごしました。

 

1988年40歳にして脚本家デビュー
果たしています。

 

出世作は
1990年のドラマ「想い出にかわるまで」
代表作は
NHK連続テレビ小説「ひらり」
「私の青空」
大河ドラマ「毛利元就」

2000年から10年間大相撲の横綱審議
委員会委員をつとめました。

内館牧子の夫や子供の詳細とは?

内館牧子さんといえば脚本家や横綱審議
委員としての顔のイメージが強くある方
ですね。

そんな、内館牧子さんは結婚をして夫や
子供はいるのでしょうか?

 

内館牧子さんの結婚歴を調べたところ
どうやら結婚歴はないようですね。

 

つまり夫や子供はいないということになり
ますね。

OLになったときにはすぐにでも結婚をして
退社すると思っていたようですが・・・

 

相手に出会うことなく彼氏がいない期間
は習い事を始めたそうです。

 

そこで・・・多くのことを試している
うちに脚本家という職業に巡り合った
ようですね。

 

40歳で脚本家としてはデビューをして
いるので遅咲き中の遅咲きです。

 

しかし、このような年齢でデビューを
して多くの人に感動を与えることができる
作品を世に出したということは、多くの
人に希望を与える事実でもありますね。

 

諦めない心というのは何かの結果に
繋がっていくものだと感じますね。

 

若い頃には結婚を夢見ていた時期も
あった内館牧子さんですが、脚本家という
天職との出会いに仕事にのめり込んでいった
ことで結婚には興味がなくなったのかも
しれませんね。

 

内館牧子さんのすごいところは経験して
いない人生の女性を生き生きと共感できる
内容で書くところです。

 

大人気作品となった「すぐ死ぬんだから」
は題名とは裏腹におもしろおかしいどこか
スカッとする作品に仕上がっています。

内館牧子の病気で顔が変わった真実とは?

内館牧子さんは2017年に桜にみとれて
転んでしまい、脚を骨折して歩けなく
なったことがあります。

 

ひどい骨折だったのでかなり長い間の
車椅子生活が続いたようで苦労をしたよう
ですね。

 

さらに内館牧子さんは60歳のときに
心臓の急病で倒れたことがあるそうです。

 

生きるか死ぬかの手術を受けて2週間ほど
意識不明の後、奇跡的に元の生活に戻る
ことができたそうです。

 

現在は大きな病気を抱えているわけでは
ないようですね。

内館牧子さんの顔が変わった?と思う
方も多いようですが・・・年齢を重ねると
顔もかわりますよね。それがその人の生き様
です。

 

内館牧子さんの目ががバセドウ病を
患っているように見える方もいるようですが
そういったことはないようですね。