ほいけんたの年収が現在は驚愕の金額に!下積み時代からブレークまでの

ほいけんたの年収が現在は驚愕の金額に!下積み時代からブレークまでの

ほいけんたの経歴

ほいけんたさんはお笑い芸人やものまね芸人として活躍をしている方です。

ほいけんたさんは1965年7月7日生まれで、東京都出身です。

ほいけんたさんは現在はものまね芸人として知らない人はいないぐらい有名になっている方ですが、幼い頃からアクションに興味津々だったそうです。

1982年、アクションチーム「THE EIGHTEEN ARTS」に入り、芸能界への道を決断しています。

1983年に劇団ひまわりへ入団する。俳優として芸能界デビューして以降ドラマ、映画、CM、舞台などに多数出演。出演した映画「幕末青春グラフィティ Ronin 坂本竜馬」の公開番組でオリジナルソングを発表して音楽の才能も発揮しました。

1985年、劇団スタジオライフに移籍し、舞台に多数出演。役者と平行してお笑いを始め、大阪のストリップ劇場で、お笑いデビューを果たします。

自身が20、21歳ぐらいのときに「プリンセス天功」さんのアシスタントをやっていたそうです。

当時、プリンセス天功さんがミュージカルをやるということで、オーディションがあり受けたところ受かってしまったのだとか。そのミュージカルに出演したことがきっかけとなってアシスタントを数年やっていたそうです。海外のマジックなどを見る機会もありマジックにはまったそうです。

1991年、オーストラリアで行われた『ジャパンフェスティバル』に、日本の芸人として招待された。イベント終了後もしばらくオーストラリアでパフォーマンスをしながら生活。この頃よりバルーンアートでオリジナル作品創作を開始しています。



1993年、『発表!日本ものまね大賞』に出演し、テレビで初めて明石家さんまのものまねを披露しています。

1995年にお笑いコンビを結成するも所属事務所が翌年に倒産をしたためにコンビを解散しています。

2000年頃には渋谷を中心としたライブ活動をしながら俳優として再現ドラマやCFなどに多数出演をしています。

その後は、バルーンイベントやマジックショーなどをして全国を回ったり著書などを出版しています。

2009年頃から明石家さんまさんのものまねを拾うしてテレビ出演をすることが増えていきました。
この頃から新宿の「そっくり館キサラ」に出演をするようになります。

2020年1月11日に放送された「カラオケ100点出した猛者のみ集まる音楽祭 生放送で満点出せるか」(TBS)で、郷ひろみ「言えないよ」を歌唱し、満点である100点を叩き出し、賞金100万円を獲得しています。

千鳥の鬼連チャンでは独特の歌唱法が受けて大人気となり、歌唱力と面白さがあいまってひっぱりだこの存在となっています。

ほいけんたの年収が現在は驚愕の金額に!


ほいけんたさんは現在はものまねや歌などの独特な存在が受けてかなり売れっ子となっていますね。

ほいけんたさんは現在どのぐらい年収があるのか気になる方も多いようです。

ほいけんたの収入源

・テレビ出演
・ラジオ出演
・CM出演
・書籍販売
・営業(全国)
・YouTubeチャンネル
・オリジナルグッズの販売


ほいけんたさんは今や大人気のものまね芸人さんといっても過言ではありません。前述したように多くの仕事をこなされています。

基本的にテレビ出演などが大きな利益をもたらすと言われている芸能界ですが、ものまねや芸人さんにとっては全国を回る営業活動がかなりの利益になるともいわれています。

ほいけんたさんは過去に事務所が倒産などをして、その後はフリーで活動していたこともあり現在は個人事務所を運営をしているために所属事務所に払う手数料もなく全額自身の利益となるようですね。

それぞれの割り振りや金額などはその年によって変わってくるとは思いますが、テレビ出演が少ない時には営業活動を多く入れることができたりと臨機応変に対応できるのがものまね芸人さんの強いところですね。

芸人の「テツandトモ」さんなどは現在はテレビ出演をあまりしていないものの、営業活動を多くこなしていて億超えの年収を叩き出しています。

つまり、個人事務所でこれだけの人気がありひっぱりだこのほいけんたさんは現在は億に近い金額か億超えをしている可能性が高そうですね。

ほいけんたの下積み時代とは!父親や母親のこと




ほいけんたさんの父親は飲食店などで炎症するバックバンドのベース奏者だったそうです。母親は美術や書道が得意な芸術系が好きな両親の元で育てられています。

ただ、4歳で両親が離婚をしたために生活は一変してほいけんたさんは母親と祖母に育てられたそうです。

小学生のときから人を楽しませるのが好きで、学校でギャグ漫画を書いたりコントをしたりとしていたところ自分に絶対音感があることに気づいたそうです。

中学生のときに音階で話をすると友達がポカーンとしていたために「あれ?僕だけ?」となったそうです。

そこからギターを始めて自作のギャグソングなどを作るようになったそうです。

そんなとき、ブルース・リーやジャッキー・チェーンに憧れて17歳で芸能の門を叩いたそうです。アクションチームに入会したものの演技ができないとスタントマン止まりだと指摘されたために劇団ひまわりにも入団をしています。

現在のほいけんたさんからは想像がつかないですが当時は1日でも早く売れてやろうとギラギラしてとても生意気だったそうです。

なかずとばずの時代は続き、20歳のときに武田鉄矢さんの主演映画のチョイ役に出演をしていたそうですが、勝手に映画に合いそうな歌を作ってテープに録音をしてプロデューサーに「コンサートでこの曲を歌わせてください」とお願いをしたそうです。まさかの企画が通ったそうです。

この経験から「得意なもので売れた方がドラマや映画でも良い役がもらえるのでは」と考えて役者と並行しながらお笑い芸人としての活動も始めたそうです。

ほいけんたさんは「1%でも可能性があるなら、やらずに後悔するよりやって納得したほうがいい。必要なのはちょっとした勇気だけで、大した労力じゃないですから」と語ります。

そして、40歳をすぎた頃に「明石家さんま」さんのものまねでブレークを果たして、千鳥の鬼チャレンジなどでも独自性を生み出して、現在では他に類をみない欠かせない存在となっています。

目指したものがすぐに成功することは限りなく0に近いですが、最終目標を達成するためにありとあらゆるチャレンジをしてきたことで現在のほいけんたさんの成功があるのですね。