今田耕司の少年院の真実や高校や実家という過去には?
今田耕司のお笑い芸人になるまでの?売れた理由?
今田耕司さんはお笑いタレントや司会として
活躍をしている方です。
1966年3月13日生まれなので、2017年には
51歳になります。
大阪府大阪市出身です。
高校卒業後には手に職をつけたいという思いから
寿司職人か美容師の専門学校の入学を
考えたそうです。
しかし、かなり高額な学費だったこともあったし
肌が弱かったために水を扱う職は向いていないと
忠告されたために断念したそうです。
当時は入学金が5万円だった
「吉本総合芸能学院」に1985年4期生として
入学をしています。
入学後に、「ほんこん」さんとお笑いコンビ
「ダブルホルモンズ」を結成しています。
当時は今田耕司さんがツッコミでネタはほとんど
ほんこんさんが作っていたそうです。
1986年にダブルホルモンズを解散して
ピン芸人として活動を始めています。
1986年京都花月12月中席にて劇場デビュー
をしています。
1987年4月「4時ですよーだ」が放送開始
1989年「4時ですよーだ」が終了後に東野幸治
さんとともに吉本新喜劇の補強メンバーとして
活動しました。
時には座長もこなしていました。
1990年にダウンタウンを慕って東京へ進出
しています。
かの有名なお笑い番組
「ダウンタウンのごっつええ感じ」に出演
を果たし全国的に知名度をあげました。
1995年には「今田耕司のシブヤ系うらりんご」
で初めての冠番組を持ちました。
その後は、司会者としても活躍して多くの
番組にひっぱりだこで出演をしています。
今田耕司の高校や実家の過去とは?
今田耕司さんは3人兄弟の末っ子として
育ちました。
実家は大阪市天王寺区生玉の道善寺という
本門法華宗のお寺で父親は会社員と住職を
兼業でしていました。
面白い話が・・・今田耕司さんの父親は
お寺の住職さんにもかかわらず?誕生日が
クリスマスだそうですw
中学3年生のときに友人3人と独立して生きていきたい
と思って、家出をしたそうですが数日で連れ戻された
そうです。
1981年から先生の勧めで全寮制の
「日生学園第一高等学校」に入学をして
1年生で映画の「大脱走」のように寮を脱走
したそうです。
1度目の脱走後には連れ戻されたようですが
2度目の脱走後にそのまま退学となった
そうです。
その後、「清風高等学校定時制課程普通科」に
編入しました。
昼間はラーメン屋でバイトをして学校に
通っていたそうです。
最終的に今田耕司さんが卒業をしたのは
「清風高等学校定時制課程普通科」ということに
なりますね。
今田耕司の少年院の真実とは驚愕の?
今田耕司さんを検索すると「少年院」という
言葉が目に付きますね。
どうやら今田耕司さんが実際に少年院
に入っていたということではないようです。
過去に今田さんは全寮制の
「日生学園第二高校」に入学していたことが
ありました。
やんちゃな子が入ることで有名なようで
かのやんちゃで有名なお笑いの「浜田雅功」
さんの母校でもあります。
つまりは親も先生も手を焼いた生徒が
入学することが多かったのでしょう・・・・
どうやらやんちゃな子が多かったということ
もあってか、規則がかなり厳しかったようです。
それはもうまるで少年院のようだったそうです。
例をあげるなら
「便器を素手で掃除すること」
「甘いものは外部の協力者から入手するしか
なかった」
「水を飲んだらだめ」
「自由時間はなし。娯楽なし」
「家族からの甘いもの差し入れは
3年生に献上」
などなどの昭和の時代はすごい学校だった
ようですね。
そう考えると今田耕司さんが脱走するのも
無理はないかもしれません。
ま・・・浜田雅功さんは卒業しているので
半端な根性の持ち主ではないということ
でしょうね。