荒牧陽子の子供が生まれたけど略奪愛から人気絶頂後のやばい話

荒牧陽子の子供が生まれたけど略奪愛から人気絶頂後のやばい話

荒牧陽子の経歴

荒牧陽子さんはシンガーソングライターやものまねシンガーとして活躍をしている方です。

荒牧陽子さんは1981年1月14日生まれで、岡山県岡山市出身です。

幼少時より歌が得意で抜群の音感を有していた。2歳にして音程を取りながら歌唱しており、3歳で既に30を超える歌のレパートリーがあったそうです。

小学校高学年になる頃から地元の歌コンテストに次々と参加。ことごとく優勝や入賞を果たし「コンテスト荒らし」と呼ばれていました。

1997年5月18日に放送された『NHKのど自慢』(NHK総合・ラジオ第1、岡山県久世町)でチャンピオンとなり翌年3月14日開催の同番組のチャンピオン大会に出場しています。 2001年2月18日放送の同番組の岡山市大会でもチャンピオンになっています。 ピアノや演歌も幼少時より学んでいました。

就実高校を卒業後、20歳で上京しシンガーソングライターとしての活動を開始しています。


様々なオーディションを受けたのですがなかなか合格できずに、スタジオミュージシャンやコーラスやカラオケのガイドボーカルなどの活動を並行して生計を立てていました。

音楽ゲームのボーカルとしても度々参加をしたり、大物アーティストのツアーコーラスも度々務めていました。

2004年頃から始めたカラオケのガイドボーカルの活動は、本物に大変似ているとインターネットや口コミ等で評判になりメディアへの露出が増えたことで、後にものまねシンガーとしてデビューするきっかけになりました。

ガイドボーカル曲についての問い合わせが殺到したために、LIVEDAMに備え付けられた一部のデンモク(カラオケ子機)では、荒牧が担当したガイドボーカル曲のみを選択する事が可能なボタンが付くまでになりました。

2011年7月19日放送のバラエティ番組『スター☆ドラフト会議』において、遂にものまねデビューを果たしました。

圧倒的な歌唱力と妖艶な美貌も相まって一気にブレイクし、イベントやテレビなど500件以上ものオファーが舞い込みました。

事務所オファーもエイベックス、ケイダッシュ、太田プロダクションなど11社にのぼり、争奪戦の末ケイダッシュ系列のピーチ所属となりました。

荒牧陽子の子供が生まれたけど略奪愛から人気絶頂後のやばい話


荒牧陽子さんは2013年5月にテレビプロデューサーの男性と結婚をしています。

この結婚はのちに騒動となります。

荒牧陽子さんと結婚をした夫は前妻が出産で入院中に荒牧さんと不倫関係になったようです。

前妻が退院後に自宅で荒牧陽子さんのつけまつげを発見して関係が発覚しました。不倫を認めた夫と前妻は離婚をしています。

前妻は精神的苦痛を受けたとして。荒牧陽子さんと元夫に6000万円の慰謝料を求めて提訴しています。

裁判の結果2014年7月に東京地裁は荒牧陽子さんと元夫に対して、合計300万円の慰謝料を支払うよう命じています。

このスキャンダルを受けて荒牧陽子さんは一時的に芸能活動を休止しています。

荒牧陽子さんと夫との間には2016年に第1子が誕生しています。

芸能活動休止から2014年頃から徐々に活動を再開していきましたがテレビ出演などはしていませんでした。

ものまね番組への出演は2013年から2017年は全くしていない状態でした。

その後、2020年5月19日放送の「ものまねグランプリ 歌ものまねNo.1決定戦」(日本テレビ)で優勝、初代チャンピオンとなる。

2021年2月12日放送の「千鳥の鬼レンチャン 激ムズ!サビだけカラオケ」(フジテレビ)で、その時点で番組史上2人目となる鬼レンチャン(サビを一音も外さず10曲連続で歌う)を達成しています。

2016年ぐらいに街頭で週刊誌の記者から直撃のインタビューを受けていたのですが、荒牧陽子さんは夫と付き合い出した時に妻がいるとは聞いておらず独身だと思っていたがそれを言うと現在は自身の夫を責めて悪者にするため大きな声では言いたくないと語ったようですね。

実際に荒牧陽子さんが知らなかったのか知っていたのかは今更誰も本当のことをする術はないのですが、実際に出産中の妻を捨てて自分と結婚をする道を選ぶ男性を夫にしたことは事実です。