由紀さおりの夫や出産した子供の詳細とは?実家や母親・父親・国籍とは

由紀さおりの夫や出産した子供の詳細とは?実家や母親・父親・国籍とは

由紀さおりの芸能界での経歴とは?歌手だけではなく

由紀さおりさんは歌手やタレント・女優
・ナレーターとして活躍をしている方です。

 

1948年11月13日生まれで、群馬県
桐生市出身です。

洗足学園第一高等学校
洗足学園短期大学英文科を卒業しています。

 

群馬市で生まれて3歳から横浜市へ
移り住みました。

少女時代から本名である「安田章子」
名義で童謡歌手として活躍しました。

 

1965年にキングレコードから本名名義で
「ヒッチハイク娘」にて歌謡曲の歌手
としてデビューをしますが、ヒット曲に
恵まれずに停滞の時代となります。

 

キャバレーやナイトクラブを巡業する
日々を送りますが・・・

1969年に東芝音楽工業より「由紀さおり」
として再デビューを果たします。

 

再デビュー作の「夜明けのスキャット」
は当初はレコード化の予定はなかった
のですが、リスナーからの問い合わせが
相次いでシングルリリースが企画されました。

 

結果的に「夜明けのスキャット」は
大ヒットを記録し、最終的には150万枚
のミリオンセラーとなりました。

 

同年の第20回NHK紅白歌合戦に初出場
を果たします。

その後も
「手紙」「生きがい」「故郷」
「ルーム・ライト」「挽歌」
「ふらりふられて」「う・ふ・ふ」
「トーキョー・バビロン」などのヒット曲
を世に送り出しています。

さらには、タレント性も見込まれて
バラエティー番組に多数出演を果たして
います。

伊藤四朗さんやザ・ドリフターズ
との絡みも有名です。

1987年には朝の連続テレビ小説
「チョッちゃん」で主人公の母親役を
演じて、流暢な方言を披露しています。

1985年には同様アルバム「あの時、
この歌」を発表して、1986年より姉の
安田祥子さんとともに童謡コンサートを
スタートさせて徐々に歌手活動に再び
重点を置いた活動になりました。

由紀さおりの夫や出産した子供の詳細とは?

由紀さおりさんは、現在結婚はしている
のでしょうか?

由紀さおりさんは結婚歴が2回と離婚歴
が2回あるのです。つまり現在は独身
となっていますね。

 

1度目の結婚は1969年のときです。
旦那さん音楽ディレクターの
「大森昭男」さん。

 

由紀さおりさんが20歳で旦那さんである
大森さんが32歳のときでした。

 

2人が出会ったのは仕事場だそうですが
由紀さおりさんが高校卒業する頃には
すでにプロポーズをしていたそうです。

 

由紀さおりさんは子供時代から芸能活動
をしていて、歌手としてデビュー後は
しばらくの間はヒット曲に恵まれずに
冬の時代でした。

 

そんなときに支えてくれたのが1人目の
旦那さんである大森さんです。

結婚後は夫婦生活はうまくいっていた
ようなんですが・・・

 

由紀さおりさんが歌手業だけではなく
タレントとしてバラエティ番組などに
多く出演するようになると・・・
家を空けることが多くなり、夫婦での時間
が減ってしまったようです。

 

そして・・・結婚して7年目の1976年には
別居生活に入って、1983年には離婚と
なってしまったようですね。

2人の間に子供はいませんでした。

 

由紀さおりさんは34歳のときに離婚を
していますが、37歳のときに子宮筋腫と
子宮内膜症を患ったのです。

 

治療法について色々と検討をしたよう
ですが、ホルモン治療で徐々に治して
いく方法はホルモンの影響で声がかわって
しまう可能性があったために、子宮の
全摘出手術へと踏み切りました。

 

由紀さおりさんが41歳のときでした。

手術を終えた後の1992年ごろに
アメリカ在住でインターネット会社
「ジェネシスピュアジャパン」の代表
取締役社長を務めていた「柴冨哲也」
さんと知り合って交際に発展をしています。

 

日本での芸能活動を完全にやめて再婚
をして、アメリカで一緒に生活をしていく
ことを検討したようですが・・・

 

母親の反対によりアメリカ行きを断念
したようです。

柴冨哲也さんとは事実婚という関係で
超遠距離での関係を続けていたようですが
やはり距離が遠すぎたこともあり
最終的に別れています。

 

柴冨哲也さんと別れた後のインタビューでは
「結局、妻にも母にもなれなかった」と
語っています。

 

大成功をしている方々も決してその道のり
は平坦ではないし、すべてを手に入れて
いるということはないのだと実感します。

由紀さおりの実家や母親・父親・国籍とは

由紀さおりさんは群馬県に住んでいる
ときに父親は飛行機工場の工場長を
務めていたそうです。

 

父親はいわゆる軍事機生産の工場で
働いていたようですが、戦争の爆撃により
工場は破壊されています。

 

戦後、工場の整理を3年かけて行い
その後は、航空機以外の分野への転職を
余儀なくされました。

 

そのようなことから考えると由紀さおり
さんは国籍は日本である可能性が高い
ですよね。

 

母親は由紀さおりさんのお姉さんで
ある安田祥子さんが小学生のときに
「ひばり児童合唱団」が毎日のように
練習をしているのを見ていることを知って
合唱団に入団をさせています。

 

由紀さおりさんは当時4歳だったそうですが
お姉さんの稽古を毎日見て聞いて、歌を
覚えていったそうです。

 

母親は幼少の頃から歌手となって活躍
をした後も1番のファンだったようですね。