デヴィ夫人の正体が凄い驚愕の真相とは?ハーフ顔はなぜなのか?
デヴィ夫人の正体が凄い驚愕の真相とは?
デヴィ夫人はタレントとして活躍を
している方です。
あまりにもお金持ちでどんな人生を送って
正体は?と気になる方が多いようですね。
デヴィ夫人は1940年2月6日生まれで
東京都東京市麻布区霞町出身です。
父親が兵七郎さんで母親が政子さん。
父親は大工の棟梁でした。
家庭は裕福ではありませんでした。
1955年の15歳の時に新東宝制作の映画
「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」に
エキストラ出演を果たします。
高陵中学校を卒業後。
東京都立三田高等学校定時制課程に
進学をすると同時に、150倍の難関を突破
して千代田生命保険に入社をしましたが
貧しい家計を維持するために、昼休みや
休日にも喫茶店などのアルバイトを掛け持ち
する日々を送りました。
1956年に父が亡くなったことに伴って
高校を中退した後に、赤坂の有名
高級クラブ「コパカバーナ」で働きます。
1959年のデヴィ夫人が19歳のときに
インドネシアへの開発援助に伴って
東日貿易の秘書という名目で、
インドネシア建国の父であるスカルノ
初代大統領のもとに送り込まれました。
デヴィ夫人はインドネシアに渡って
数年は愛人の1人という存在でした。
しかし、1962年にスカルノさんと正式
に結婚となり、4人の夫人のうち第3夫人
となりました。
同時期に、マスコミの執拗な取材によって
体調を崩していた母が亡くなり・・
その2日後にはセールスマンに全財産を
騙し取られた上に母の死に目に逢えなかった
実の弟が自宅アパートでガス自殺をしています。
デヴィ夫人は深く悲しみいつまでも
心を離れない悲しいトラウマと語って
います。
1965年9月30日に起きた軍事クーデター
ではスカルノさんは軟禁状態におかれて
デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館
に亡命を希望したのですが、国際的立場上
の理由で断念をしました。
第2夫人を除く夫人は皆、大統領のもとを
離れ逃げ切りました。
1967年3月11日に都内病院でデヴィ夫人は
カリナさんを出産しました。
スカルノ大統領にとっては8番目の子供
でした。
その後、デヴィ夫人は政治的に亡命者
に寛容なフランスを亡命先に選びました。
スカルノ大統領はクーデターを予期して
以前よりインドネシアからスイスへ
巨額の資金を確保していたとされるものの
1970年にスカルノさんが死去時に
スカルノ家、ならびにインドネシア政府
から財産の相続の権利や子供のスカルノ
一族としての地位などを喪失しました。
第3夫人としての資産は与えられなかった
とも、実際には死去時に遺産が与えられた
とも言われています。
その後・・・インドネシア政府の方針
によって第3夫人としての遺産分与が
行われました。
世界的なセレブの1人として、日本で
芸能人としても活躍。
芸能活動は1970年代から開始しています。
1980年にインドネシアに戻り石油関連
事業を興したのですが・・・
スカルノ体制崩壊とその後のスハルト政権
成立によって、元大統領夫人としての
外交的立場を失っていました。
日本政府や企業財閥側も、クーデターで
失脚したスカルノ夫人を擁護することは
なかったそうです。
1991年にアメリカのニューヨークに移住
をしました。
以降はインドネシアでの第一線から退き
その後のインドネシアでの政変や第一夫人
・第二夫人を中心とした政治の動乱には
巻き込まれることなく、日本に帰国をして
現在に至ります。
デヴィ夫人の生い立ちから簡単に説明
をしましたが・・・・
壮絶な人生ではないでしょうか。
日本で生きていけば巻き込まれること
がないような騒動に巻き込まれています。
もちろん巨額の富を結果的には手にした
かもしれませんが・・・
クーデター当時の逃亡をする時の精神的
なことを想像するだけでも卒倒しそうです。
デヴィ夫人の現在の日本の芸能界で
活躍している姿をみると正体は一体
何?となりますが・・・
想像を絶する世界に身を投じていた
方なのだということがわかりますね。
デヴィ夫人のハーフ顔はなぜなのか?
デヴィ夫人は絶世の美女といっても
過言ではないぐらいの美人です。
若い頃の画像を見ても日本人には見えない
彫りの深い顔立ちをしています。
外国人の血が入っているハーフなのか?
と思う方も多いようです。
デヴィ夫人の両親は外国人などではなく
純粋な日本人です。
しかし!!父親も母親もイケメンと美人
なんです!
まさに日本人の天然の美人ということ
なんですね。
父方の両親も母方の両親も日本人で
漁師や農家といった仕事をしていた
方々のようです。
デヴィ夫人の正体を上述したように
大統領の妻の座に着いた後もすぐに
クーデターで大変な混乱の中で
生き抜いています。
さらには実母や実弟の死など、今だに
わすれることはできない深い傷を
負っています。
絶世の美女に生まれたことですべての
幸運を手にしたわけではなく
辛い人生を味わって今があるのだと
感じます。
成功を収めた方々もきっと裏には辛い
過去や努力などがあったに違いありません。