絹谷幸二の家族の家系図とは!息子や娘も芸術家で!代表作や値段の詳細とは

絹谷幸二の家族の家系図とは!息子や娘も芸術家で!代表作や値段の詳細とは

絹谷幸二の経歴

絹谷幸二さんは洋画家として活躍をしている方です。

絹谷幸二さんは1943年1月24日生まれで、奈良県奈良市出身です。

奈良県立奈良高等学校、東京芸術大学美術学部油絵専攻卒業しています。

小学校一年生の頃から油絵を習い始めました。芸大卒業後の1971年にイタリアへ留学、ヴェネツィアでアフレスコ古典画の技法を研究しました。

1974年に「アンセルモ氏の肖像」で安井賞展安井賞を受賞。その後メキシコ留学などを経て、1993年(平成5年)東京芸術大学教授に就任、後進の育成に尽力しています。


2000年(平成12年)日本芸術院会員。2008年(平成20年)には35歳以下の若手芸術家を顕彰する絹谷幸二賞を毎日新聞社主催により創設。2010年(平成22年)東京芸術大学名誉教授。

賞歴

1966年(23歳)- 東京芸術大学美術学部油画科卒業制作展「蒼の間隙」で大橋賞、独立美術協会第34回展で独立賞
1967年(24歳)- 独立美術協会第35回展で独立賞
1970年(28歳)- 新鋭選抜展に「記憶の跡」を選抜出品し優秀賞、ベヴィラックア・ラ・マーサ財団主催の展覧会でラ・マーサ賞
1974年(31歳)- 第17回安井賞展に「アンセルモ氏の肖像」を出品し安井賞
1977年(34歳)- 「アンジェラと蒼い空II」が昭和51年度文化庁買い上げ優秀美術作品
1978年(35歳)- イタリア・マニフェスト展でマニフェスト賞
1983年(40歳)- 第2回美術文化振興協会賞
1985年(42歳)- 第2回日本青年画家展に「光ふる時」を出品し優秀賞
1987年(44歳)- 第4回日本青年画家展に「時の天使」を出品し優秀賞、第19回日本芸術大賞
1988年(45歳)- 第5回日本青年画家展に「涙するカトリーヌ」を出品し優秀賞
1989年(46歳)- 第30回毎日芸術賞
2001年(58歳)- 「蒼穹夢譚」で第57回日本芸術院賞

栄典

2014年(71歳)- 文化功労者
2019年(76歳)- 紺綬褒章飾版、木杯一組
2021年(78歳)- 紺綬褒章飾版、木杯一組、文化勲章

絹谷幸二の妻との馴れ初めとは


絹谷幸二さんは妻と4人の子供という家族構成です。

2人が息子さんで2人が娘さんです。

絹谷幸二さんは1971年3月に「大井宏美」さんと結婚をしています。妻は絹谷幸二さんよりも10歳年下で絹谷幸二さんが東京芸大の副手になった1968年秋に出会ったそうです。

当時、美大を目指している高校生だった妻が東横美術研究所の生徒で、絹谷幸二さんも出品していたグループ展を見に来たのが出会いだったようですね。

絹谷幸二さんは妻にプロポーズした際に「自分以外の画家の絵を好きにならないでほしい」とお願いをしたそうで、その約束を守って妻は現役画家の展覧会には一切足を運ばないそうです。

妻の卒業式の翌日に教会で式を挙げて、翌朝には留学先のイタリアへと旅立ったそうです。

絹谷幸二の実家とは



絹谷幸二さんの実家は奈良市元林院町にある老舗料亭の「明秀館(めいしゅうかん)」です。

明治時代半ばに曽祖父が創業して、現在も親戚が料理屋として営んでいます。

明秀館はかつて財政界の大立者や文化人が集うサロンのような場所で、初代総理大臣「伊藤博文」や白樺派の作家「志賀直哉」や東大寺の僧侶など多くの著名人が訪れていました。

明秀館は国宝級の建造物や自然に恵まれて、幼い頃から本物芸術や歴史に触れる環境で過ごしたことが絹谷幸二さんの芸術観や作風に大きな影響を与えたようです。

絹谷幸二の息子や娘も芸術家



絹谷幸二さんの娘さんは日本画家の「絹谷香菜子(きぬたにかなこ)」さんです。動物をモチーフにした作品が多いのが特徴で、動物達の瞳の中に花などのモチーフを描き込むなど独特な作品です。伝統的な日本画の技法を基礎にしつつ、自由な発想で現代的なテーマや色彩を取り入れています。


プライベートでは2015年秋に結婚をしています。結婚を機に福岡で暮らすようになったそうです。夫の職業などは明かされていませんが、子供さんがいることは報じられているようですね。

絹谷幸二さんの息子さんは「絹谷幸太(きぬたにこうた)」さんで日本を代表する現代彫刻家の1人です。石を素材とした彫刻作品で国際的に活躍をしています。


息子さんは東京芸術大学で彫刻の博士号取得後、ブラジルに留学をしてサンパウロ大学大学院を修了しています。

名古屋大学・名古屋芸術大学・大阪芸術大学で教鞭をとりながら、日本とブラジルで石を用いた彫刻の制作活動を続けています。

高校3年生の時に父の勧めで彫刻家「柳原義達」さんの展覧会を訪れたことがきっかけで彫刻の道に進んでいます。もともとはゴルフ部でプロゴルファーを目指していたそうです。

絹谷幸二さんにはあと2人子供さんがいますが、その子供さん達は銀行員の道を選んだようですね。