近藤正臣の若い頃の画像がイケメンで衝撃?嫁や息子の画像が!

近藤正臣の学生時代や芸能界へのデビューから活躍とは?

近藤正臣さんは俳優として活躍を
している方です。

 

1942年2月15日生まれです。

京都府京都市出身で
母親は元祇園の芸妓さんでした。

 

「京都府立洛東高等学校」を卒業
しています。

 

高校時代には演劇部に所属をして
ボクシングも習っていました。

 

高校演劇コンクールでは銀賞を受賞
しています。

 

高校卒業後には母親が一人で営んで
いた小料理店を継ぐために大阪の
吉兆で板前修業をしました。

 

しかし、伝統的日本料理会の厳しさ
に嫌気がさして3ヶ月でやめて
アングラ劇団「ドラマ工房」を作り
活動を始めました。

 

京都の松竹でエキストラをしていた
20歳の頃、助監督たちに「大船へ
来ないか」という誘いのもと、東京
へ単身上京しました。

 

1970年大河ドラマ「樅の木は残った」
の端役が決まりそれと共に
「柔道一直線」の主人公のライバル
結城真吾役が決まりました。

 

1971年再び上京し出演をした
このドラマによって一気に火がつく
ことになりました。

 

以降は、
「冬の雲」
「春の嵐」
「地の果てまで」と立て続けに出演
をして人気を決定付けました。

1973年には大河ドラマ「国盗り物語」で
後半の中心人物である明智光秀を
演じました。

1985年から1987年には朝日放送制作
の「クイズなんでも一番館」の司会を
務めたり、金鳥「キンチョウリキッド」
のCMでたぬきやカッパの被り物をした
シリーズに長らく出演するなど幅広い
活動をすることになります。

近藤正臣の若い頃の画像がイケメンで衝撃?

 

近藤正臣さんは20代で俳優として
ブレイクすることになりますが・・・

かなりイケメンだったようですね。

 

近藤正臣さんの若い頃の画像は
こちらから見ることができます。

精悍な顔立ちできりりとしたイケメン
です。

 

とにかく若い頃は顔立ちもよく
キザな二枚目役をこなす俳優として
重宝されていたようですね。

 

年齢を重ねる毎に二枚目から
しゃべりの上手なキャラもたってきて
司会などのバラエティ番組にも
活躍の場を広げていったんですね。

 

現在は、おじいさん役や父親役など
味のある役をこなす近藤正臣さんですが
共演する役者さんは演技の幅の広さに
感激するそうです。

近藤正臣の嫁や息子の画像が?

近藤正臣さんは俳優になって
間もない24歳のときに結婚をして
います。

 

嫁がどういう人なのか気になる人も
多いようですが、一般人ということで
画像や詳細な情報は出回ってないようですね。

 

近藤正臣さんを検索すると息子
がいるのか?といった噂があるようですが
どうやら息子さんはいないようですね。

 

息子さんがいるのか?と噂になった
のは俳優の「玉木宏」さんが息子なのか?
と思う人がいたようですが・・・

NHKの朝の連続テレビ小説の
「あさが来た」で親子役を演じたため
のようですね。

 

近藤正臣さんには
娘さんが一人いるようです。

 

娘さんは元タレントの「川口ひみこ」
さんという方のようですが・・・

 

短い期間で辞めたようなので画像など
はのこっていないようです。

 

かなり昔のことなのでインターネット
もまだ普及していない時代ということの
ようですね。