吉永みち子の結婚した夫や子供の画像や詳細とは?生い立ちや家族とは

吉永みち子の結婚した夫や子供の画像や詳細とは?生い立ちや家族とは

吉永みち子の作家やコメンテーターとしての経歴とは?

吉永みち子さんはノンフィクション作家
として活躍をしている方です。

 

吉永みち子さんは1950年3月12日生まれで
埼玉県川口市出身です。

 

中学生の時に母子家庭の家計を助ける
ためにアイドルタレントになろうと考え
渡辺プロダクションのオーディションを
受けて合格をしています。

 

その後、埼玉県立浦和第一女子高等学校
東京外国語大学外国語学部インドネシア語
学科を卒業後に・・・

 

競馬専門誌「勝馬」を発行する立馬株式
会社に入社をして日本初の女性競馬新聞
記者となりました。

 

1978年株式会社日刊現代を退社して
約5年間の専業主婦を経てノンフィクション
作家として復帰をしています。

 

1983年雑誌「優駿」誌上の日本ダービー
50周年企画で募集されたエッセイコンテスト
「優駿エッセイ賞」最優秀作を受賞。

 

1985年に「気がつけば騎手の女房」で
第16回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

ノンフィション作家に転身後は、主に
競馬関係や女性の視点から捉えた著作
が多いです。

 

テレビのコメンテーターや、男女共同
参画運動をテーマとした講演をたびたび
行っています。

吉永みち子の結婚した夫や子供の画像や詳細とは?

吉永みち子さんは1977年に騎手の
吉永正人」さんと結婚をしています。

吉永みち子さんが結婚をした夫は当時
人気だった騎手でした。

 

夫は吉永みち子さんよりも9歳年上
でした。

 

夫は再婚ですでに3人の子供さんがいました。

 

吉永みち子さんと夫の間には息子さん
を1人授かっています。

 

一時期は吉永みち子さんのお母さんも
いれて7人家族で暮らしていましたが・・

 

夫の吉永正人さんと離婚しています。

離婚理由は友達関係に戻りたかったから
だということです。

 

仲違いをしての離婚ではなかったので
離婚後も夫子供たちとの関係は続いて
いたそうです。

 

離婚をしていましたが2006年に夫が
胃がんで亡くなっていますが亡くなる
直前の身の回りの世話は吉永みち子さんが
していたそうです。

 

息子さんの1人「吉永良人」さんが
騎手・調教助手として活躍をしていますが
吉永良人さんは前妻との子供さんです。

吉永みち子の生い立ちや家族とは?

吉永みち子さんは母子家庭で育ったという
ことは前述をしていますが・・・

 

生い立ちとはどのようなものだったの
でしょうか?

 

吉永みち子さんは父親が60歳のときに
生まれた子供だそうです。

父親は9歳のときに亡くなっています。

 

父親が亡くなった後は母親と2人で下宿屋
を営んでの生活だったそうです。

下宿屋のお客さんが何か文句を言ったら
女子供だと思ってなめんじゃないよ!と
言い返していたぐらいの勝ち気な女の子
だったそうです。

 

そこには母親を守ろうという意思があった
のかもしれませんね。

 

母親が高いをした後に日記を見つけて
知ったそうですが、実は吉永みち子さん
には異父姉がいたそうです。

 

昭和11年に姉は生まれたようですが7歳の
ときに病死をしていたとのこと。

 

母親はよく、優しい子は死んで、優しく
ない子は生きているとよく言っていたそう
なんです。
そのために母親の機嫌をそこねないように
子供を時代を過ごしたそうです。

 

お母さんの面倒も最後まで見て
離婚をした夫の最後も世話をしていた
吉永みち子さんは優しい子だということ
にお母さんが気づいてくれていたら
いいなと思ってしまいました。