甲斐よしひろが浜田省吾に嫉妬の驚くべき理由が明らかに?
甲斐よしひろの幼少時代や学生時代と芸能界デビューへの?
甲斐よしひろさんはロックミュージシャンとして
活躍をしている方です。
1953年4月7日に生まれなので、2017年には
64歳になります。
福岡県福岡市出身で、父親は地元で裕福で
知られる理髪店を経営していました。
4人兄弟の四男だったそうです。
1958年6月に福岡市南区大橋に転居をし
父親が借金の保証人になっていた為に夜逃げ
同然の転居でした。
さらには父親が転居直後に蒸発をして生活保護を
うけるほどの極貧生活を送ることになりました。
1969年4月に福岡市立福岡商業高等学校
(現在の福岡市立福翔高等学校)に入学をしました。
高校時代から本格的に音楽活動を始めています。
1970年同級生らと3人組のカントリーバンド
「ノーマン・ホイットフィールド」を結成し
地元のラジオ番組やライブ喫茶・昭和に出演をして
います。
1972年に大手旅行代理店に就職をしましたが
サラリーマン生活が性に合わず、4ヶ月で退職をし
その直後に高校時代より歌っていた昭和で
ウェイター兼ソロ・シンガーとして働き
始めました。
1973年には福岡・少年文化会館でホールで
初のワンマンコンサートを開催しています。
福岡アマチュアとしては当時最高の900人を
動員しました。
同年「ポプコン」九州大会最優秀楽曲賞獲得するも
全国大会は出場を辞退しています。
出場を辞退したのは受賞曲のヤマハへの版権委託条項
を拒否したためです。
1974年3月28日に「ポップコーンほおばって」
で第3回ハッピー・フォーク・コンテスト」
全国大会で優勝をしています。
その後、「大森信和」「長岡和弘」「松藤英男」
とともに甲斐バンドを結成しています。
1974年「バス通り」でデビューを果たします。
翌年にはセカンドシングル「裏切りの街角」を
リリースしオリコン最高7位のヒット曲となり
知名度が一気に上がりました。
1986年からはソロ活動を開始しさらに
「KAI FIVE」を結成しています。
1994年にはレコード会社をポニーキャニオン
へ移籍をしてソロ活動を新たに開始しています。
1999年から2001年に甲斐バンドの活動を
再開しています。
甲斐よしひろが浜田省吾に嫉妬の驚くべき理由が明らかに?
甲斐よしひろさんを検索すると「浜田省吾」さん
に嫉妬している?というキーワードが目に付きます。
一体、甲斐よしひろさんは本当に浜田省吾さん
に嫉妬をしているのでしょうか?
甲斐よしひろさんが浜田省吾さんに出会ったのは
甲斐さんが行ったコンサートの前座を浜田さんが
務めたことからです。
その時期というのが1976年ぐらい・・・
浜田省吾さんは1975年にデビューを
していますがデビューはソロとしてではなく
「愛奴」というバンドでデビューをしているんです。
当時このバンドにレコード会社が
とてもお金をかけていたようで・・・
かなりエゲツない金額だったようですね。
レコード会社としてはお金をかけてもヒット
させたいという思い入れがバンドに対して
あったのでしょうね。
当時としては前代未聞ほどの金額をバンドに
かけて100万枚のセールスを狙っていたそうです。
しかし、その期待ほどはバンドは売れなかった
ようなんですが・・・・
周りの人にかなり気に入られて肩入れされて
いた浜田省吾さんは矢沢永吉さんなどの
多くのアーティストの前座をデビュー直後から
務めていたようです。
どうやら、浜田省吾さんはかなり気さくな人柄
で周りの人に感謝の気持ちを忘れないといった
感じだったので会社の人やミュージシャンの
先輩方にも可愛がられていたようですね。
このようなことからもレコード会社にも
肩入れされていて周りの先輩からも可愛がられて
いた浜田省吾さんのことを甲斐よしひろさんは
嫉妬していたのでは?といわれているようです。
以前、テレビ出演をした際に甲斐よしひろさん
自身が嫉妬をした相手がいると告白したことから
多くの人が誰だろうと思ったようですね。
甲斐よしひろさんは裏表がない性格で
思ったことをバンバン言ってしまうということ
から敵も多く作りやすいのかもしれませんね。
しかし、二人が仲が悪いということはないよう
なんで、あくまでもアーティストとして思いが
あるということなんでしょうね。