松山千春の嫁や子供画像が衝撃の?嫁との馴れ初めや娘との関係が

松山千春の嫁や子供画像が衝撃の?嫁との馴れ初めや娘との関係が

松山千春の生い立ちやデビューから売れっ子までの経歴が!

松山千春さんはフォークシンガーと
して活躍をしている方です。

 

1955年12月16日生まれです。

 

北海道足寄郡足寄町出身で
「北海道あ処理高等学校」を卒業
しています。

 

松山千春さんは生後間もなく
股関節脱臼と診断をされて、札幌の
北海道大学付属病院に半年間入院を
しています。

 

このときに入院費捻出のために父親は
多額の借金を背負うことになり
その後の返済が家計を圧迫しました。

 

このことが幼少期の人格形成に大きく
影響を及ぼしています。

 

小学校5年生のところに姉の影響で
フォークソングと出会いました。

 

高校では首席になるほどの成績優秀
さで担任からは大学進学を勧められた
のですが、苦しい家計を考えて断念
したそうです。

 

叔父が経営する小料理屋の手伝いと
クラブのバーテンで働いていました。

 

1975年に「全国フォーク音楽祭」の
北海道大会に出場するも落選を
しました。

 

1976年にSTVラジオの竹田健二
ディレクターに見出されて、同局の
「サンデージャンボスペシャル」ないの
15分コーナー「千春のひとりうた」で
メディアデビューを果たしました。

1977年1月25日「旅立ち」で
レコードデビューを果たしましたが
同年の8月27日に二人三脚で歩んでいた
竹田さんが急性心不全のために
36歳で急逝して、一時失意に陥り
ました。

 

しかしこれが契機となって同年10月
には個人事務所として「オフィス・パンタ」
が設立されて、松山千春さんをバックアップ
することになりました。

 

1977年10月には「オールナイトニッポン」
水曜2部のパーソナリティに起用されて
全国区の人気となりました。

 

1978年4月には月曜1部に昇格して
全国区の知名度をさらに得るようになり
ました。

 

同年に発売されたシングル
「季節の中で」が大ヒットしたことで
一気にスターダムを駆け上がり
以後も多数のヒット曲を出して
ニューミュージック界で確固たる
地位を築くに至りました。

 

1980年3月3日清須邦義さんと
加川良さんとともにNEWSレコードを
設立しました。

 

1982年7月24日には札幌・真駒内
屋外競技場にて5万人コンサート
を開催しました。

 

1984年には「オレたちひょうきん族」
内の「タケちゃんマン」に使用された
「ビックリ箱のうた」の作詞・作曲を
手がけました。

 

1985年NEWSレコード事業解散
それに伴って、レコード会社を
ALFAレコードに移籍しています。

 

1992年日本コロムビアに移籍を
しています。

 

2007年にはコンサート公演回数が
2000回に達しました。

松山千春の嫁や子供画像が衝撃の?

 

松山千春さんは1985年の12月に
一般人の女性である
「金田孝子」さんと結婚をしています。

結婚をする3年前の1982年に婚約発表が
おこなれました。

 

松山千春さんはコンサートツアー中
だったために出席はできませんでしたが
当時所属していたNEWSレコードの
山本社長が発表をしました。

 

婚約発表は突然のことでファンも
かなり驚いたようですね。

 

松山千春さんの嫁である金田孝子
さんは札幌市近郊の裕福な農家で
生まれた一般女性だそうです。

 

地元のカトリック系の女子高校を
卒業した後は、札幌市内の三愛
デパートに勤務をしていました。

 

婚約発表時にはすでに三愛デパートを
退社をしていましたが6年間働いて
いたそうです。

 

嫁がデパートで働いている時期に
松山千春さんとは知り合ったようで
まだデビューしたばかりの松山千春
さんとパブなどでデートを重ねていたようです。

 

松山千春さんの父親曰く
山本陽子さんに似た古風な優しい方
と語っていたようです。

 

松山千春さんは過去にタイプの女性
は男に黙ってついてくるような女性が
いいと語っていたようなので
嫁は大和撫子タイプだったのでしょうね。

 

松山千春さんと嫁との間には子供
さんが1人います。
娘さんで「月菜」さんという方です。
結婚後すぐに生まれているようですね。

 

嫁や娘さんの画像は一切出回って
いません。
松山千春さんはプライベートの情報漏洩
にはかなり気を使っているようですね。

 

嫁と喧嘩をしたときに娘を置いて
出て行け!となったようですが
泣いた娘が部屋から出てきたのを見て
二人は思い直したそうです。

 

さらに、選挙に出馬するかもと家族に
話したときに嫁はカラダのことを考えて
反対ですと語り、娘さんは嫌だ嫌だと
泣いて反対したことで松山千春さんは
諦めたようです。

 

このようなことからもとっても
家族仲が良いのがわかりますね。