畠山鈴香の現在の近況や生い立ちに衝撃の真実が?秋田連続児童殺害事件
畠山鈴香のおこした秋田連続児童殺害事件とは?
畠山鈴香は2006年に発生した
「秋田児童連続殺害事件」の犯人です。
1973年2月2日生まれです。
2006年4月10日に小学校4年生だった
畠山彩香ちゃん(9歳)が自宅から10キロ
離れた川で水死体となって発見されました。
秋田県警では当初事故と判断していましたが
5月に彩香ちゃんの2軒隣の米山豪憲くん
(7歳)が12キロ離れた川岸で遺体で発見
されました。
1ヶ月間に2人もなくなっていることに疑問を
抱き始めた警察が再捜査を始めました。
その後の操作で6月4日に彩香ちゃんの母親
である「畠山鈴香」を容疑者として逮捕しました。
秋田県警は初動捜査の不手際を完全に否定
していたんですが畠山鈴香の嘘をうのみにして
当初80人体制だった捜査員を20人にまで減らして
いたんです。
しかし、畠山鈴香は当初不可解な行動を起こして
いたんです。
「長女を事故だと断定した警察には不信感がある」
と自ら長女の消息を求めるビラなどを付近に
配布などする行動を起こしていました。
その真意は事故ではなく事件にすることで
犯罪被害者給付金が目当てだったのでは?と
囁かれていました。
畠山鈴香の現在や近況や判決とは?
畠山鈴香は娘の彩香ちゃんの駄々にいらだって
愛せずに悩んで新しい生活への足かせと感じて
いたようです。
そのような悶々とした気持ちを抱えていた
畠山鈴香はとっさに橋から突き落としたんですが
積極的な殺意があったとはいえないとされています。
しかし、豪憲くんの殺害は娘の彩香ちゃんの死は
事件だとする自分の主張に目をむけさせるための
殺害と判断されています。
欄干から怖いといい抱きつくように母親に助けを
求めていたにも関わらず我が子を突き落とす
非道さで彩香ちゃんの絶望感を考えると
耐え難いものがあります。
豪憲くんは何も悪いことをしていないにも
関わらず友達の母親を信じ首を絞められ
息を吹き返すようなそぶりをみせたところで
さらに首を絞め続けるといった非道さは
まさに人の心を持っているとは思えません。
2009年5月19日に弁護側が上告を取り下げたため
地裁が下した無期懲役判決が確定しました。
逮捕後、2007年には畠山鈴香は拘置所内で
取調室から持ち出してたばこを4本食べて
自殺を図ろうとしましたが2,3日口がしびれた
だけに終わったようです。
さらにはタオルで自分お首をしめたり鏡を
割って腕を傷つけたり、ボディソープを容器の
3分の1ほど飲むなどの行為を繰り返して
いたようです。
畠山鈴香の壮絶な生い立ちとは?
畠山鈴香は小学校高学年ぐらいになると
父親の暴力の対象となって中学に入るとそれは
エスカレートしていったようで殴る蹴る
髪の毛を引っ張り引きずり回されるなどを
したようです。
小学校からいじめにあい「心霊写真」「ばい菌」
などと呼ばれていたようで、卒業文集には辛辣な
言葉でいじめが繰り返されていたことが伺えます。
元夫とは口論が耐えずにほどなく離婚を
しています。
畠山鈴香はパチンコと病的な夜遊びの挙句に
数百万円の借金を抱えて自己破産をしていた
ようです。
実家のダンプ運送会社も経営に行き詰まって
破産をしていたようです。
パチンコ三昧の毎日で借金ばかりつくり
旦那が愛想を尽かして出て行ってしまった
と言われています。
その後おはスーパーやパチンコ店やスナック
宴会のコンパニオンや生命保険の営業外交員
などと職を転々としていたようです。
しかし遊び癖は治らずに夜遊びも重なり
自己破産をしています。
団地の家賃はもちろん公共料金も滞納して
いたので家庭生活はめちゃくちゃだったようです。
彩香ちゃんはカップラーメンなどの食事
しかさえてもらえなかったために給食が
楽しみだったようです。
事件を起こす前にはデリヘルで働いて
いたようです。
子供にも使える防犯グッズのGPSとは?
犯罪というのは絶対に許せない行為です。
自分の大事な人が犯罪に関わるようなことが
あってはならないと心配している子供さんを
もった親御さんも多いと思います。
何か起こってからでは遅いのでまずは
起こらないようにすることが絶対的に
重要なことですが・・・・
もし・・・・どこかにいって探せないという
場合にもたせておきたいのが携帯電話ですが
携帯電話を持たせる余裕もないし・・・