大橋鎭子の家族とは?独身なのか旦那や子供って?妹との関係は?

大橋鎭子の家族とは?独身なのか旦那や子供って?

妹との関係は?

oosizu_001

大橋鎭子の幼少期や父との関係?

大橋鎭子さんは編集者やエッセイストとして
活動をされていた方です。
「暮らしの手帖社社主」の元社長で「暮らしの手帖」
を創刊した人でもあります。

 

大橋鎭子さんは1920年3月20日生まれで
2013年3月23日の93歳で亡くなられています。

 

大橋鎭子さん日本製麻勤務の父親と
小樽育ちで女子美術学校出身の母との間に
生まれています。

 

父親の転勤のために1歳で北海道に移住をしています。

 

その後、まだ幼い子供たちがいる中で
父親が肺結核になってしまったために東京に
戻って療養をしていました。

 

しかし、大橋鎭子さんが小学校5年生という幼さで
父親が死去しています。

 

父親が結核になりなくなるまでの5年間は療養所を
求めて「伊東・鎌倉・大森」と転々と暮らし
家族で看病に明け暮れる日々でした。

 

大井町に落ち着いた後に1930年父が死去した
際には11歳という幼さで「喪主」を務めたんです。

 

父親からは自分がなくなったら家族のために
父親代わりをしてくれと頼まれていたようですね。

 

大橋鎭子の家族や妹との関係とは?

大橋鎭子さんは、父親と母親と妹2人の家族構成で
生活をしていました。

 

父親が肺結核を患って亡くなった後には
父親の代わりに母親や妹たちを支えていたようです。

 

現在では結核はかかったとしても薬で治る
病気となっていますが昔は結核にかかるとほとんど
の人がなくなる不治の病でした。

 

時代が進むと治療ができる病気も増えますが新たに
死んでしまう病気が出てくることは因果なものですね。

大橋鎭子さんは
「東京府立第六高等女学校」を1937年に卒業
をしています。

その後・・・・「日本興行銀行」に入行をして調査課
に勤務をしました。
その後、3年で退行をして「日本女子大学」に入学を
しました。

しかし!入学して1年後に肺結核となり学業を断念
しています。
大学を中退をして静養をして結核は克服しました。

 

その後、創刊されたばかりの「日本読書新聞」に
入社をしています。

 

多岐に及んだ編集部に所属をした後に
日本読書新聞でカットの仕事をしていた「花森安治」
さんと知り合いました。

 

その出会いがきっかけとなり
1946年に花森さんと大橋鎭子さんと妹である
晴子さんと芳子さんの三姉妹。それと横山啓一さん
とで銀材で会社を設立し社長となっています。

 

そこで雑誌「スタイルブック」を創刊しています。

 

1948年に花森編集長の元で「美しい暮らしの手帖」
のちの(暮らしの手帖)の創刊に参加をしました。

 

当時の人々の知りたいことを詰め込んだ雑誌という
ことで大ブレイクをとげます。

 

どの時代でも人々によろこばれ欲しがられている
ことを提供できる人間が成功を成し遂げることが
できるんですね。

 

妹2人とも仲良く助け合い育ったために
大人になってからもその関係性はかわりませんでした。

 

女性3人で会社をたちあげていくことは現代の
世の中でも大変なことなのにすごいことだとおもいます。

 

現在の世の中もまだまだ男尊女卑はあるといわれて
いますが、ここまで女性の立場を向上させてくれた
女性たちの活躍が過去にはあったのですね。

大橋鎭子は独身なのか?旦那や子供って?

大橋鎭子の結婚や旦那や子供といったことを
謎に思う人も多いようですね。

 

どうやら、大橋鎭子さんは生涯独身を貫いた
ようです。

 

そこには大橋鎭子さんの幼い頃からの想いや
育った環境にあったようです。

 

父親を結核で幼い時になくしたために母親が
かなり苦労をしているところを目の当たりに
していますので、必ずしも結婚で幸せになることは
ないという想いが幼い大橋鎭子さんに根付いてしまった
ところがあるようですね。

 

さらには同級生の中野家子さんが結婚をしてわずか
半年という短さで戦争で夫をなくすという悲劇に
見舞われているのでさらにその想いは強く
なってしまったようです。

 

さらには、3姉妹で一番年上であったために
父親がなくなるときに家族のことをたくされたこと
から、家族を守らなければならないという強い想いが
残っていたこともあるようです。

 

さらには企業するときに「花森安治」さんとの会話で
花森さんが
「僕は二度と戦争が起こらないような雑誌をつくりたい
今度の戦争に女性の責任はない。それなのにひどい目に
女性たちがあった。女の人が幸せでみんなに温かい
家庭があれば戦争は起こらなかったと思う。
だから君の仕事に僕は強力しよう」といわれたようです。

 

そのときに、花森さんから結婚について尋ねられると
大橋鎭子さんは雑誌をすることで頭がいっぱいだった
こともあり・・・

 

「仕事を続けたいので結婚はしません」と答えた
そうです。

 

その誓いを破ることなく結婚をしなかったと
いわれています・・・・・

 

しかし、これに関してはいをとなえたいですね。
現在の世の中は女性の社会進出が求められています。

 

しかし、反面子供を産み育てることも求められています。

 

この2つを同時することの難しさは男性には理解
できないことなのかもしれませんね。

 

過去の女性たちは仕事をすることで社会進出を
とげて女性の立場の向上は、はるかに上がったのかも
しれません・・・・

 

これからの女性たちが過去のすばらしい女性たちの
ように行動をすることによって仕事も子育ても
安心してできる社会ができるかもしれませんね。

 

女性の社会的行きやすさを作るのは女性なのかも
しれません。