
間寛平の年収が現在は全盛期と比べて!息子や娘・妻などの家族の詳細
間寛平の経歴
間寛平さんはお笑いタレント・喜劇俳優・歌手などで活躍をしている方です。
間寛平さんは1949年7月20日生まれで、高知県宿毛市出身です。
本名は「間重美(はざましげみ)」さんです。私立柏原高等学校卒業
実の父親は間寛平さんが生まれる前に23歳の若さで結核で亡くなっています。そのため間という名前は母親が再婚をした義理父の名前になります。
1968年 – 高校卒業後、石原裕次郎に憧れて上京。歌手を目指すが、挫折して大阪に戻り、様々な職を転々とし会社員も経験しています。
1969年 – 岡八郎らが出演していたラジオの公開収録で岡と知り合い、岡が当時所属していた千土地興行の千日劇場に出入りするようになる。千日劇場の閉鎖後、トップホットシアターを紹介され、最初鳳啓助に弟子入り志願したが、既に弟子がいたために断られ、すっとんトリオに弟子入りをしています。
新世界のジャンジャン横丁にあった「温泉劇場」(ストリップ劇場)に入り、幕間コントに”はざま貫平”の芸名で出演して修行を積みました。
1970年 – 喫茶店でアルバイトをしていた際に、店主の日限萬里子の紹介により吉本興業に移籍をしています。
1974年 – 盟友となる木村進とのコンビで入団から4年、24歳にして吉本新喜劇の座長に昇格しています。
1975年 – 『ひらけ!チューリップ』で歌手デビュー[5]。100万枚のセールスを記録し翌年には同じタイトルの日活ロマンポルノに主演するなど活躍をしました。
1989年には吉本新喜劇を退団して東洋進出をしたけし軍団加入を希望したのですが、大阪時代の間寛平さんの活躍を知っていたビートたけしさんの運転手さんから諭されて入団を断念しています。
2008年(平成20年) – 12月17日に大阪をスタートして2年以上かけてマラソンとヨットで世界一周する「アースマラソン」に挑戦する。この間、日本には一度も帰国しない予定から芸能活動を休止し、当時のレギュラー番組を全て降板しています。
2016年 – 7月20日、若手芸人育成を目的として、「劇団間座」を立ち上げ[12]、12月24日・25日に旗揚げ公演『恋の虫』を上演しています。
2021年 – キングオブコントに村上ショージと結成したコンビ「ヤギとひつじ」で出場し準決勝まで勝ち進むも、ネタ見せのタイムオーバーで失格となり敗退しています。
2022年 – 吉本新喜劇のゼネラルマネージャー(GM)に就任をしています。
今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう🎉😉。今日は万博でノンバーバルコメディーに出演してきました、たくさんのお客さんで盛り上がりました、ありがとう~ウヒハ。 pic.twitter.com/cbVE4YPXoN
— kanpei (@kanpeitter) May 16, 2025
間寛平の年収が現在は全盛期と比べて!
間寛平の年収が現在は全盛期時代には大阪だけではなく全国的に人気となり誰もが知っているという知名度までなっています。
間寛平さんの全盛期の年収は1.3億円以上はあったといわれています。1996年には高額納税者の18位にまでなっています。
現在は年齢的にもバリバリの活動はしていないものの2022年2月からは新喜劇史上初のGM(ゼネラルマネージャー)を務めています。
GMだけではなく芸人やタレントとしての仕事もしているようなので全盛期よりは年収が下がったといっても4000万円ぐらいはあると言われているようですね。
間寛平の息子や娘・妻などの家族の詳細
間寛平さんは自身が28歳のときに9歳年下の光代さんと結婚をしています。結婚後に女の子と男の子2人の子供をもうけています。
娘さんとのエピソード
1979年頃に長女の「美代」さんが誕生していますが、娘さんについては情報をほとんど明かしていないために画像や仕事などはわからないようですね。
間寛平さんはフェリーの甲板で3歳の美代さんと一緒に写った写真を生涯忘れられない大切な一枚としているそうです。
この写真を撮ったときには間寛平さんは先輩芸人から頼まれて借金の保証人にされたうえにことごとく逃げられて多額の借金を背負ってしまいます。借りた先が街金だったために借金がどんどん膨れ上がり返しても返してもおいつかない状態だったようです。
そんな状態のとき、地方巡業の帰り道に居眠り運転をしてしまい、高校野球を応援に行くバスと衝突事故を起こしてしまい、なんとか必死で弁償金を集めたそうですが、そのお金を友人にネコババされてしまったそうです。
そんなどん底の時期に、徳島にある相手先に謝罪にいったときの写真だったのです。
間寛平さんはノイローゼみたいになって、娘の手を引いて一緒にこの海の渦に飛び込んでしまおうかと思うぐらい追い詰められていたそうです。
娘さんに写真を見せながら当時の辛い話をしたところ娘さんに「お父さんが一番苦しかったことがわかる。これは宝物やね」と言ってくれたそうです。
息子さんとのエピソード
間寛平さんの長男は1981年生まれで、現在はシンガーソングライターとして活動をしている「間慎太郎(はざましんたろう)」さんです。
昨日はガンディ14周年ライブ、たくさんの方とお祝いができて嬉しかったー!
そして久しぶりの間慎太郎さん!お会いできて嬉しかったです!またやりましょー!素晴らしいライブに酔いしれながら今日は穏やかに過ごせました。
さぁ!明日からも頑張ろうぜー! pic.twitter.com/lZB1E9FWIy— キトキトロケンローラー 寅 (@tora_rock) May 6, 2025
息子さんは1985年の4歳のときに「吉本コメディ」のゲスト出演者として初舞台を踏んでいます。その後も間寛平さんや家族と共にバラエティ番組やCMに出演するなどの芸能活動をしていました。
その後、中学・高校・大学時代は学業を優先するために芸能活動を休止していたようです。
学生時代からバンド活動などに打ち込み2005年にはミニアルバム「バーボンストリート」でシンガーソングライターとしてデビューを果たしています。
現在はシンガーソングライターだけではなく映画やラジオ・バラエティ番組などにも出演をしています。
息子さんは幼い頃から間寛平の息子というよりも間寛平のファンという感じで育ったようです。友達を連れてきても間寛平さんは「アヘアヘアヘ」「かい〜の」などのギャグをおしみなく披露してくれたそうです。
息子さんが中学生の頃、寝ている時に蚊が耳元を飛び回るのがうるさくて「こっちが血ぃ吸うたろか!」と言って間寛平さんに「今のどう、おもろない?」といったところ「単純やからアカン」と答えたそうです。
しかし、間寛平さんは翌日のテレビの生放送で「血ぃ吸うたろうか〜」と息子さんが考えたギャグを披露していたそうです。
昨日、今日誕生日を迎えた方おめでとうございます、ハッピーバースデーおめでとう🎉、今日はプリングルズよしもとカレー味の商品発表会でした、新喜劇座員のギャグが入ったパッケージですよ、美味しいよ、ウヒハ。 pic.twitter.com/VBPxFDjucj
— kanpei (@kanpeitter) May 20, 2025