宇崎竜童と阿木燿子の子供の存在とは?病気で手術の病名とは一体?

宇崎竜童と阿木燿子の子供の存在とは?病気で手術の病名とは一体?

宇崎竜童の芸能界に入ったきっかけや経歴とは?

宇崎竜童さんは歌手・作曲家・俳優などで
活躍をしている方です。

 

宇崎竜童さんは1946年2月23日生まれで
京都府京都市出身です。

 

渋谷区立原小学校
明治大学附属中野中学校・高等学校
明治大学法学部を卒業しています。

 

父親は船乗りを経た後に、代々木上原で
船具店を経営して裕福だったのですが、中学校
3年生の時に父の会社が倒産をして一家は
豪邸から借家生活となりました。

 

宇崎竜童さんは中学・高校時代はブラスバンド
部に所属をして大学時代には軽音楽クラブに
所属をしてトランペットを担当していました。

 

大学時代に作曲活動を始めましたが、両親の
手前もありプロを目指すことなかったそう
です。

 

大学を卒業後には情報システムなどを手がける
「内田洋行」に就職をしたのですが性に合わず
1ヶ月で退社をしています。

 

その後は義理の兄の経営する大橋プロで
マネージャーを務めてバンド「ミルク」時代
の松崎しげるさんをスカウトして2年間マネジ
メントを担当したのですが後に退社をして
います。

 

大橋プロ在籍時には宇崎竜童さんの作曲の
コンビで手がけたジュリーとバロンのシングル
「ブルー・ロンサム・ドリーム」でプロ作家
デビューを果たしています。

 

コンサートに飛び入り参加をしたのがきっかけ
となってレコード会社から声がかかりました。

 

1973年「ダウン・タウン・ブギウギ・バン
ド」を結成してシングル「知らず知らうのうち
に」でデビューを果たしています。

 

1974年の「スモーキン・ブギ」が全国的に
大ヒットをしています。
その後の「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」
もヒットをしています。

 

自身のバンドのヒットと同時に歌謡曲の作曲家
としての活動も目立つようになりました。

 

大ブレイクをした山口百恵さんの曲
・横須賀ストーリー
・イミテイション・ゴールド
・プレイバックPart2
・しなやかに歌って
・ロックンロール・ウィドウ
・さよならの向こう側
など数々のヒット楽曲を提供しています。

宇崎竜童と阿木燿子の子供の存在とは?

宇崎竜童さんは阿木燿子さんと1971年12月
結婚をしています。

宇崎竜童さんと阿木燿子さんの馴れ初めは
1964年の18歳の時で明治大学に入学をして
2日目に軽音部に入部をした宇崎竜童さんは
先輩に、新入生を勧誘してくるように言われて
初めて声をかけたのが同じ新入生だった阿木燿
子さんだったそうです。

 

実は宇崎竜童さんは阿木燿子さんを見た時に
一目惚れとかではなく「あっこの人・・・
嫁になる人だ」と直感的に思ったそうです。

 

最初の1年間は軽音部のみんなにあわせて
団体行動をこころがけていたそうですが、
大学2年生のときに我慢できなくなって
阿木燿子さんを渋谷のデートに誘ったところ
このことがきっかけとなり交際へと発展をした
そうです。

 

そして・・・なんと宇崎竜童さんは3回目の
デートでプロポーズをしたそうです。

 

しかし、さすがに早すぎるプロポーズに
阿木燿子さんはすぐにOKを出さなかった
そうですが・・・・

 

宇崎竜童さんは「俺たち結婚することになって
いるから!神様が決めたことだから」と口説き
続けたそうです。

 

プロポーズはしたものの宇崎竜童さんは経済的
に裕福ではなかったために出会って7年後の
1971年の27歳のときに結婚となったそうで
す。

 

結婚後も現在までおしどり夫婦として有名
な宇崎竜童さんと阿木燿子さんです。

 

阿木燿子さんは宇崎竜童さんに料理を作って
いるときが一番の喜びで、宇崎竜童さんは
どんなご馳走を食べるよりも阿木燿子さんの
作った料理を食べることが幸せな瞬間だそう
ですよ。

 

宇崎竜童さんと阿木燿子さんの間には子供
さんはいません。

宇崎竜童の病気で手術の病名の真実とは?





宇崎竜童さんは2023年3月下旬に突然の
腹痛に襲われています。

 

すぐに病院に向かった宇崎竜童さんは入院を
告げられました。

 

腹痛の原因は腸に穴が開いているとのこと
だったんです。

 

このときの宇崎竜童さんはお腹は痛かった
ものの話すことも歩くこともできたので
そんな重大なことになっているとは思わなか
ったようですね。

 

しかし、お医者さんは「一刻も早く手術を
しないと明日はどうなるかわからない」と
言ったそうです。

 

2週間後に歌を歌う仕事があったのですが
意を決して小腸をおよそ40cm切る手術を受け
たそうです。

 

術後3日間は何も食べられずに点滴のみの
生活でしたが驚異的な回復をみせて1週間後
には退院を認められるまでになりました。

 

宇崎竜童さんは30代前半の頃、映画撮影の
際に耳栓をつけ忘れての弾着の発破によって
難聴を患っています。

 

現在は補聴器を使用しながら作曲などをこ
なしているそうです。